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「教区会員」板
258
:
アクエリアン
:2012/11/06(火) 20:50:13 ID:JNQmHDOg
さくら様
熱烈なるメッセージ、襟をただして読ませていただきました。
>人間が神の子であるという真理もま た、思想的闘争をこえた、 共同体的な助け合いや繋がりの意識を もって伝えるあり方が、 いまの宗教の活動にも求められるよう に思うのですが… <
おっしゃる通り、思想闘争という考え方では、相手を、論破、あるいは、説得出来ても、心の底から納得納得させることはできないですね。
やはり、これからの宗教活動は、相手の気づきを促す、あるいは気づきを待つというような、相手の自発性に期待するというような姿勢、意識が求められるのではないでしょうか。
そういう点で、こういうネットで、思想、教えを、まず、知ってもらい、読んでもらうという活動が、大切になってくると思います。
そして、共同体的な助け合い、繋がりの意識というのは、これからますます求められるようになってくると思います。
この自己は、人類の一人であると共に、まず第一に日本人の一人である、という意識でしょうか。
私が生長の家の教えに触れてよかったと思うのは、人間とは霊的な存在であるということを教えられたことと、自分が住む日本の素晴らしさ、天皇の存在の意義を教えられたこと、ですね。
人間とは何なのかということ、そして、天皇を中心とした日本人としての繋がり、一体感を体得するのに、生長の家の教えが果たす役割は大きいのではと思います。
高校時代に学んだことが、私の原点であり、生きる原動力であり、このお陰でいままで生きてこられたのではないか、そんな思いです。
作家は処女作に向かって成熟するという言葉がありますが、心が柔軟な時に学んだ教えの意味をより深く学ぼうとしてきたのが、私の人生だったのではないかという気がします。
そういう意味で、やはり、若い人たちに、その時は充分に分からなくても、ともかく、雰囲気だけでも、輪郭だけでも、まず教えて、知ってもらい、心の片隅に残しておいてもらえたならいいのではないかという思いもあります。
その種が、何かの縁によって、いつか、芽を吹くということですね。
まあ、そんなことを考えています。
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