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「教区会員」板
2309
:
トンチンカン
:2015/06/13(土) 00:46:29 ID:gJyKhqbg
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これも、、『曳馬野』爺さん!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<「教区会員」板>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2278 :トンチンカン殿:2015/06/02(火) 22:09:59 ID:kEnG6jMo
>>『玉子焼き論』、、なんてありましたよね!! “黄身”と“白身”『万物調和六章経』、、、
これは、“黄身”部分に相当しないのでしょうか・・・
ほんまに理解力が無いのだね〜 下に書いてあるでしょう、よく読んでね黄身と白身の意
味する物さえ分からないんだ、表現されたものはあらかたと云うか100%白身なんだよ。
だから『生命の実相』でも「甘露の法雨」白身、神想観で得たものが黄身、聖典を読み他
人の体験談を聞くなどの後、究極のところは神想観によると雅春先生が言われている。だ
からなんぼ能書きを述べても、私は神想観により斯くの如く真理を述べる、と云わない限
り何の意味もないね。
宗教の“教え”の中には、卵の目玉焼きに“黄身”と“白身”があるように、“中心部分
”と“周縁部分”があるという考えである。前者(中心部分)は、教えの神髄に当たる部分
で、言葉によっては容易に表現できない。しかし、教えは表現しなければ(伝えなければ)
意味がないから、古来、宗教の指導者たちは、それを人・時・処に応じて工夫を凝らし、
様々な言葉や象徴、儀式等を媒介として表現してきた。これらが後者である。前者は時代
や場所を超えて不変であるが、後者は時代や場所、文化、相手の心境などに応じて可変で
あり、
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