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「教区会員」板

196トキ:2012/10/17(水) 14:09:05 ID:MlujcLto
 弁誠士は、依頼者とは別個の人格を持ったひとりの人
間として、依頼者と対略しなければならない。そして、
依頼者とともに考え、依頼者にとっての適正な利益を確
認していく。それが見えてきたとき、依頼者にそれが適
正な利益であることを理解してもらうのは代理人の仕事
である。依頼者がそれを理解するとき、相手方と譲歩し
合う余地が生まれ、相手方の利益との調整が可能になる。
 訴訟をするまでもなく、話し合いによる解決も可能にな
るのだ。−方だけの欲求が充足されるという結果ではな
く、片万が少しの利益を得ることで納得し、他方が損失
をわすかなものに食い止めることで満足する結果は、双
方にとつて幸せである。

 弁護士は依頼者の代理人として常に依頼者の利益を考
えているが、依頼者にも非があることを理解させ、相手
方の言い分にももつともなところがあることを知っても
らうことは、きわめて重要なことである。そのことがそ
れぞれを譲歩させ、早期の円満解決を導く鍵となる。譲
ら合った結果、双方が生き延び、双方に幸せがもたらさ
れる解決が図れたら、弁護士は、依頼者の適正な権利・
利益を実現させるという任務を全うしたことになるとと
もに、一方の代理人でありながら、社会的な調整機能を
も果たしたといえるのではないか。

私は、日本の弁護士にはこうした役割が与えられてい
ると思っている。道具では、この役割を果たせない。
(中略)

 ところが、一途に依頼者の望みを叶えようとして、道
具に徹し、攻めて攻めて攻めまくる弁護士もいる。が、
それは本当に依頼者のことを考えているのだろうか。自
分が勝つことだけを考えているのではないのか。

 必ず勝てる訴訟というのもある。たとえば、ゴルフ会
社を被告とする預託金返還訴訟だとか、被告に争う余地
のない貸金返還訴訟だ。依頼者の道具となった弁護士が
こうした勝ち戦に臨むと、勝ちすぎが起こる。勝ちすぎ
というのは、相手方の事情に配慮しない勝ち方のことだ。
まさに依頼者が望んだとおりの判決はとれる。しかし、
敗者はいっこうに支払わない。払うものかと思っている。
執行するならやってみろ、何もないぞと薄笑いを浮かべ
る。
道具となつた弁護士が、攻めまくつたものの負け戦に
なってしまったときは、もはや調整は不可能となる。究
極の敗訴判決を受けるしかない。ここに、道具に徹した
場合の落とし穴がある。弁護士も依頼者も哀れというし
かない。

(後略)


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