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「教区会員」板

12トキ:2012/08/27(月) 18:33:30 ID:3Fw8BvUg
 もともと、生長の家の教えに触れて、感激し、信仰を生活に生かすと、それで生活が向上したとか、救われた、という
喜びがあり、その感激から、他人に伝えずにいられない、というのが運動の原点だったのです。ところが、運動が目的み
たいになると、その感激がなく、単に、「運動をしないといけない」という義務とか使命感だけで運動をするようになり
ます。また、組織の指導者も、そういう運動を強要するようになります。なぜなら、そのほうが都合が良いからです。

 本流復活派の一部の人達も、また教団の偉い人達も、そういう使命感とか義務かんで組織を動かす事を覚えてしまった
から、何かあると、脅すような言動をして、信徒や同志を動かそうとします。これが当たり前になると、信徒は大変です。
 何がなんだか分からないまま、運動に邁進をする羽目になるので、魂の向上が見られなくなります。
ある意味、とても恐ろしい話です。

(つづく)


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