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117
:
さくら
:2012/09/15(土) 08:26:16 ID:e8ieIrPA
信頼できる宗教というのは、いろいろあると思いますが、ひとつに、時代の淘汰に耐えてきたという面があると思います。
伝統的に受け継がれてきた祭事や慣習などが、その国の文化をつなげ、精神的な支えになっていることを認識しているので大切にしていること、
とか、神に通じる道の真髄を中心から説いているので、規則や伝統はきちんと守り伝えるけれど、無駄に排他的なところがなく、
長い年月のなかで寛容の精神が育っているのではないかと思います。
自分たちの信じている教えこそ絶対である、とか、真の団体だ、真の教えだ、などとあえて主張したり、
また他を非難したり排斥したりする信じ方は、どこかゆがみがある信仰の姿勢であると思っています。
また、自分の信じているものを、絶対視せずに相対化できるというのは、脳科学的に見ても脳の発達段階として、成熟した信仰のあり方といえるようです。これは、個人的な信仰姿勢についてもいえるのですが、
時代的な宗教のあり方の変化が、脳の発達段階にそっていえることがあるようで、面白いです。
トキ様も時々、これからの宗教のあり方が変化することを言われていますが、具体的にどういう方向のことかわかりませんが、
わたしも変化するものだと思っています。
スピリチュアルな方向ともいわれておられた文章があったようですが、わたしはもう、この時代も過ぎてきていると思っていますが。
あと、常識の範囲以上に、霊的な予言とか知識、霊的な感覚などを重要視していうところは、信用する必要はないと思います。
霊的な予言、占いなどに依存させるようなものはむしろ邪教ではないかとおもいます。
正しい宗教や信仰は、霊的な法則を正しく説き、そのことに関しての畏敬の念を育て、先祖や伝統的な神祭を大切にすることを推奨すると思いますが、
それ以上の霊的な関与に関しては、慎重になる感覚をきちんと持っているものだと思うからです。
霊が見えるとか聞こえるとか、霊的なものが感じやすい、感知する力があるとかいうことより、
人間に本来備わっている、神性や仏性こそがもっとも高い霊性であることを知っているので、
無駄に霊的な云々の知識に左右されることがないと思います。
自分たちの霊的知識とか霊的に敏感な感覚や持っていることを特別に考えていたり、
霊的奇跡を起こせることが真の宗教とかいうようなことをいうことは、
やっぱり正しいの霊性を把握していないのではないかとおもいます。
生長の家のなかでも、よくあったみたいですが。霊的な力があったり、病気を治す奇跡をたくさん起こしていた講師が、生長の家をやめて、あたらしい宗教を自分でひらくなど。
せっかく正しい宗教にであっても、霊的な力を必要以上に重要視すると、
真髄からはずれてしまうことがあるみたいだとかんじました。
人間としての思いやりとか、日常の当たり前の愛情や周りに配慮したり心配りができ、規律やマナーなど守ることできることが本来霊性の高さの顕れであり、そういう人のほうが、逆に特別宗教などしていなくても、
本来人に備わった精神性や霊性を健全に育てられることがあるのではないか、とも思います。
スピリチュアルでよく、天使だの光のなんとか瞑想とか儀式とか、チャネリングなどで神の言葉を語ったり・・っていうのはあるみたいですが、言葉できれいなことをいっていたり、
ときに真実の法則を語っていることもあるのですが、
一時、一通りはやった似非スピリチュアル的な考えには、結局は、我を増長させるようなものが根底にあると感じてます。
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