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本流対策室/3 板

888光明掲示板より:2012/09/13(木) 10:42:56 ID:/VjQunjA
思川桜 NEW (1381)
日時:2012年09月12日 (水) 16時49分
名前:高階 哲夫

私は「生命の実相」を読み始めてから43年、聖使命会員になってから28年の地方の一誌友です。

 ネット上に光明掲示板と言うサイトがあるのを最近知りました。

 お!これは生長の家だな、さぞや和顔・愛言・賛嘆のあらしだろうな、と思いきや、なんと憤怒・蔑視・嘲笑の渦でした。

 とりわけ 「靖国見真会」参加者さんはだいぶ憤慨なさっておられるご様子で、その文章からは怒りの波動さえ感じられます。

 しかし必死になにか訴えておられるご様子なのでスレッドって言うんですかねこれ、これをずっと読んで見ますと、言々これ雅春先生に対する愛の告白じゃないですか、で、はっと思い当たりました。

 今から10数年前ですかね、わが教区の練成会に本部講師に成り立てのまだ青年の面影を残した熱血漢がやって来たのです。

 その先生は涙ながらに天皇陛下の素晴らしさを語って下さいました。私も受講者の一人として涙を流しました。

 そのときの青年講師ですよね、ま、今も青年かどうか知りませんが、九州訛りの熱っぽい語り口は昔のままですね。

 ここは個人的な昔話をするところではなさそうなので長話は止めますが、懐かしいですねえ。

 こんなところにおられたのですね。こんなところで再会するなんて、ネットの御陰ですねえ。

  「靖国見真会」参加者さんは私が誰だか分からないと思いますが、それはそれでいいですよ、たくさんの誌友の中の一人ですはっはっは。

 「靖国見真会」参加者さんにお尋ねしたいことがあるのです。

 「雅春先生に学ぶ会」と言うのは「雅春先生を通して神様が伝へ給うた真理に学ぶ会」と言う意味ですよねえ。

 それとも雅春先生ご自身を信仰の対象としたいということですか。

 私はなに派でもありません。雅春先生が指し示めされた神様を信じて生きて来ました。

 人を愛し信奉することは美しいことだとは思います。しかし、全ての人が自分と同じくらいその人を愛し信奉しないからといって憤慨することはないのではありますのまいか。

 人を愛し信奉するあまり、信奉する対象者以外のひとの言動が色褪せて見えてしまうというのも差別の愛のように思います。

 上目線になっていたらお赦しください。私は「靖国見真会」参加者さんの信仰者のリーダーとしての資質を承知しているからこそ言いたいのです。

 わたしたち一般の誌友は、物言わぬ群衆のように思われるかも知れませんが、ちゃんと本物と偽物を見分ける目を持っていて、じっと見守っているのだと思います。

 人の間違いを糾弾する話もいいですが、胸にせまって涙が零れ出るような暖かいお話をまたお聞かせくださいますよう願っております。


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