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本流対策室/3 板

595トキ:2012/08/23(木) 11:20:39 ID:MVBBkgK.
  谷口雅宣先生の「唐松模様」を拝見すると、8月20日のご文章に以下のようなご説明がありました。
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いわゆる原理主義的な宗教観をもつ人々は、“最初の表現”がオリジナルであり、より完全に近いと考えるのである。その理由は、神や神霊からのインスピレーションは、ある時、ある場所で、一気に、特定の人物にだけ天降ってくると考えるからだろう。また、真理の表現は一回きりで完結すると考えているフシがある。

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 ここで言う「原理主義的な宗教観」を持つ人を、広く世界にまで広げると、確かにイスラム原理主義と言われる人達や、基督教のアーミッシュと
言われる人のように、最初の表現に固執する人は存在します。また、エホバの証人のように、独自の聖書解釈を原理主義の立場で行い、その結果、
輸血の禁止など、おかしな方針を信徒に強要する信仰もあるので、理解できる部分はあります。

 しかし、生長の家に関して言えば、谷口雅春先生の直弟子を含めて、ここまで極端な「原理主義的な宗教観」を持つ人に私は会った事がありません。
もちろん、たくさんおられる生長の家の信徒の中には、そういう人がいる可能性を否定はしないが、かなりの少数派だという印象を私は持っています。

 が、私の知らないところに、そういう人が多数おられる可能性も排除できません。

 生長の家に関して言えば、ここで言う「原理主義的な宗教観」とは、本流復活派を指すと考えるのが普通でしょう。

 そこで、本流復活派の方々のお尋ねしますが、本流復活派の方々の中には、こういう「原理主義的な宗教観」はどのぐらいの
比率で存在するのでしょうか? 御教示下されば幸いです。また、過去にそういう人は存在したでしょうか?

 なお、ご返答は、ここでなくても構いません。光明掲示板や本流愛国掲示板、山ちゃん1952様のブログなどでも拝見できます。

宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます


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