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本流対策室/3 板

541トキ:2012/08/21(火) 19:49:10 ID:OtLkCEFs
>>540

 ご投稿、ありがとうございました。

 いわゆる神誌から普及誌へと変更された頃に「ネットワーク考」というエッセイが理想世界に巻末に連載されており、
パソコン通信でのやりとりを紹介したものでした。谷口雅宣先生は、当時、副総裁だったはずです。その時に、弾み(?)で
大東亜戦争が侵略戦争と書いてしまい、部内は大騒ぎになりました。河口湖練成道場の講師だった仁川守本部講師が
公然と実名で、「全貌」や「国民新聞」などの外部のメディアで谷口雅宣先生を批判し、それが週刊誌などにとりあげ
られるなど、影響は少なくありませんでした。(注:仁川守本部講師の投稿は本部講師解任後です)

 余談ですが、「ネットワーク考」には英文和訳がありましたが、谷口雅宣先生の和訳は堅い文章で、読みにくいと
思っていました。

 青年会内部では、例えば、生長の家高校生連盟や大学生連盟の人間はこの文章に否定的でしたが、他団体から入信
した人は肯定するなど、いろいろな意見が見られました。斬新なアイデアをするなど、人気のあった谷口雅宣先生です
が、この件から少し人気にかげりが出たような気がします。

 さて、この問題は、本流掲示板では盛んに議論をされているので、そちらのほうが参考になるかもしれません。
 また私にその資格があるとも思えません。
ただ、当時、既に組織の役員だった私が組織論的に考えると、以下の問題があったと思います。

 大東亜戦争肯定から否定という大きな方針の変更が、部内の議論もなく決定された事が、特に部内の士気に影響をした
と思います。直後の教化部長懇談会では、Y本部講師が、このような大きな方針の変更は少なくても教化部長には事前の
連絡を入れるべきだという主張をしていました。しかし、実際にはこれが悪しき前例となり、だんだんと本部の方針の
変更がトップダウンで決まるようになりました。

 次に、雑誌での連載でしたから、当然、反論が殺到し、収拾がつかなくなりました。結局、谷口清超先生や他の教団理事
などが、就任してすぐの谷口雅宣先生をまもるために教団の方針を変更し、谷口雅宣先生の発言を追認しました。つまり
ご本人ではなく、周囲の人が収拾をした訳です。が、これも後々から考えると、良くなかったという感想を持っています。
(この辺りは、考えがまとまっていないので、省略)

 ただし、谷口雅宣先生を弁護すると、当時はまだ「大東亜戦争侵略論」が多数派でしたから、教団改革を考える谷口雅宣先生
にしたら、教団部内の特異な価値観を修正し、「開かれた生長の家」(当時のスローガン)にする意図があったとは思います。
 右翼団体と揶揄される生長の家から、普通の人でも参加できる組織にしたい、という気持ちは、個人的には感じていました。

 この事件は既に過去の出来事であります。が、あえて教訓を一つあげるのなら、議論ができる体質に教団がなるべきだと
思います。谷口雅春先生がご指導のときには、自由で生き生きとした雰囲気であった、という話をよく聞きます。今の生長の家
は、率直に言って、息が詰まるようなところがあります。

 以上は、当時、実際にこの件を体験した個人的な感想であり、これを一般化するつもりはありません。その点はよろしく
お願いします。

合掌 ありがとうございます


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