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本流対策室/3 板

296初心者:2012/08/16(木) 15:47:59 ID:TfQ0e6RA
ある日の天気予報で、「明日の降水確率は30パーセント」と発表されたとします。
翌日は雨であったとします。さてでは、いま降っているこの雨は何パーセントの
確率で降っている雨であるといえるのでしょうか。30パーセントでしょうか、それと
ももっと別の確率によってでしょうか。

確率を知るためには全体を知る必要がありますね。100日を全体として、そのうち
の30日で雨が降ったとすれば、雨の降る確率は30パーセントといってよいのかも
しれません。

では、「今ここで降っている雨」の全体とはなんなのでしょう。それは100日ですか。
それとも100平方キロメートルですか。その全体のうちのどれだけの割合で「この
雨」は降っているといえるのでしょうか。30日ですか。30平方キロメートルですか。

一般に確率は無知の度合いともいわれているようですね。「今ここで降っている
雨」の全体を知ることは、おそらく誰にもできないということです。天気予報で
いう「降水確率」にしても、これは予報があたる確率(あるいはハズれる確率)で
しかないということでしょう。

今回の新聖経と災害のむすびつけにしても、それを語るのであれば、全体を知る
必要があるのではないでしょうか。新聖経が読まれなかったときにはなにが起きて
いたのでしょう。災害は起きなかったということがいえるのでしょうか。もしそうで
あるのなら、今回の災害の原因は新聖経にあるということがいえますね。

なんとなく、あの『眠り姫問題』と似たような様相を呈してきたようにもおもえま
す。どうなっていくのでしょうね、生長の家は。


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