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本流対策室/3 板

1837光明掲示板より:2012/10/01(月) 09:56:46 ID:???
日時:2012年10月01日 (月) 09時03分
名前:「靖国見真会」参加者


「和解」派の皆さんに、お尋ねします。

「和解」「和解」と言う人たちが、こと「谷口雅春先生を学ぶ会」に対しては、自ら「和解」の芽を摘むが如き論を展開しています。

“敵対感情”むき出しの言論を吐く人まであります。

「悔しい!負けたくない!」という、誰にもある感情がそう言わせるのかもしれません…?

そういうものを私は決して否定する者ではありません。

ただ、それを余りにも見せつけられると、結局、「和解」派と名乗るもその真実は「谷口雅春先生を学ぶ会」とは和解する気はないのだなと思うだけです。

「和解」派の皆さんですらそうなのに、どうして生長の家教団が、「谷口雅春先生を学ぶ会」と「和解」などしようとするのですか…?

「和解」派の皆さん、自分たちの言っていることとやっていることとをよーく考えてみてください。

それを見たら、教団が「和解」論に乗るいうことが如何に至難なことか、自ずとおわかりいだけると思うのです…?

何を申しあげたいか…?

それほどに宗教的な「和解」というものは、大変なことなのですよ、自分たちだって出来得ていないことをよくもまあ人様には要求できるものですね、と申し上げたいわけです。

それを前提として、私はもはや「和解」などという非現実的な話よりは、「棲み分け」でいった方が信徒にとっても迷惑がかからない、そう思うに至りました。

何故か、もはや今の生長の家教団は、谷口雅春先生の「教え」とは甚だしいほどに乖離してしまっているからです。

それを私は、前に、2つの図式で提示させていただきました。

私ども「本流」派は、「第九条」をこう捉えています。

「生長の家大神−尊師・谷口雅春先生−『生命の實相』『聖経』」

それに対して、今の教団はこうなっているわけです。

「生長の家大神−谷口雅宣総裁−『小閑雑感』『新しい経本』」

これだけの違いがあるのに、それでも「和解せよ」というのは、真水を泥水に混ぜ合わすようなものだと私は言っているのです。

安東巌先生の抜群の比喩をもってすればこういうことになりましょうか…。

〉絶滅危惧種のニホンカワウソが、トキにつづいて絶滅したと。トキの絶滅は農薬でドジョウや小魚の餌が失くなったからです。
 その意味で教団が、尊師の『生命の實相』や『聖経甘露の法雨』などの真理の食物を信徒に与えない今の状態を続けるなら、ホンモノの『生長の家』信徒、純粋信仰者は絶滅危惧種から絶滅種になるでしょう。今こそ、真理を護る時です。〈

つまり、今のままで「和解」を目指すのは、恰も、谷口雅春先生の“純粋信仰者”を絶滅させてしまうものである…。

だから、それとは一線を画して、谷口雅春先生の“純粋信仰”で生きる世界をつくるしかないと私は思っているのです。

それが、「谷口雅春先生を学ぶ会」であると自負しております。

ダライ・ラマがなぜチベットを脱出したのですか…?

中国共産党に管理されるようなチベット仏教では、純粋のチベット仏教を護り得ないと判断したからではないのでしょうか…?

それと同様に、谷口雅宣体制で管理された「生長の家」では、谷口雅春先生の純粋信仰は護り得ないと判断したからこそ、「谷口雅春先生を学ぶ会」が生まれたのだと私は理解しています。

そういう私たちから見れば、「和解」派というのは、ダライラマに対して、別派はよくない、チベットに戻ってこいと言っているようなものとしか見えないのです。

どんな弾圧を受けようが、どんな誹謗中傷に晒されようが、断乎として、谷口雅春先生の純粋信仰を護り抜く、それが私共の決意であり、覚悟なのです。

すべてを棄てていますから、何も怖いものはありません。

だから、教団がどう出てこようとも、びくともしません。

ことここに至っては、無理な「和解」よりかは「棲み分け」でいかがですか…?

それが、今の段階での、最もいい「和解」とは思いませんか…?

そう、「和解」派の皆さんにお尋ねしているのです。

「トキ」さんが、これを真っ正面から受け止めて、回答して下さることを心から期待しております。


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