[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
本流対策室/3 板
1747
:
さくら
:2012/09/30(日) 15:12:54 ID:pCbgCqCs
これを要約いたしますと、仏教もキリスト教も日本神道も、それぞれ中心者を説いているにもかかわらず、何故、尊師は日本的なものにすべてを統一されたのであるかというと、それは、生きて歩む絶対としての実践ということが、これを決定するただ一つのことであるということであります。中心ということを実践するには、この現実の世界では一点を決定しなければならない。そこで尊師が宗教の説くところはそのまま実践出来得るものであるという立場から日本天皇を宣揚されたということ。そしてその実践ということは、いわゆる、普通の実践ではなく、神の創造り給える実相世界のみ唯一実在であり、その実現のみ唯一実在であるから、実践とは実在が展開する姿であり、この実在というのは、展開せずにはいられない。この実在というものは、そこに中心があって展開が可能なものである。実際にあらわれることが可能であるというこの尊師の根本的宗教が、立場が日本的なものに統一された根拠になっていると思うのであります。
尊師の自叙伝によりますと、「或る日、私は静座合掌瞑日して真理の啓示を受けるべく念じてゐた。私はその時、偶然であらうか、神の導きであらうか、仏典の中の『色即是空』と云ふ言葉を思ひ浮かべた。と、どこからともなく声が、大濤のやうな低いが幅の広い柔かで威圧するやうな声が聞えて来た」と書かれたあと、現象を完全に否定し、心仏衆生三是れ無差別と説くところの現象仏を完全に否定されて、実相のみがあるというところに到達されたときに、又声が聴こえて来て、『今、久遠の今が復活する』という言葉を聴かれたとあります。尊師がお悟りになられたあの荘厳なる場面のところの『今、今、久遠の今だ、久遠の今が復活する』というその「今」が、生長の家のみ教えの骨子を貫いているものであると思われます。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板