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本流対策室/3 板
1746
:
さくら
:2012/09/30(日) 15:12:19 ID:pCbgCqCs
「 日本古代の宇宙創造説は、日本民族が何千年もの久しきにわたって、日本の歴史をあらしめて実践して来た教えであります。天皇を中心とした世界は、実践によって、三教が古事記の中心者に統一されることを決定づけています。ここに私は尊師の教えの実践の偉大さということを深く感じさせられました。宗教の教えは実践出来るということ、実際に病が消え、人生苦からの開放を実際に現実世界にもたらしている生長の家にしてはじめて、宇宙の中心者の国家的実践という観方が生まれて来たのであります。
その中心の観方を現代に展開することが出来たということであります。そして、その生長の家の教えの根本は「今」ということ、宇宙の中心、 一切万物がこの一点に巻きおさめられている。この「今」というところから、すべてのものは発したのであるというようにお説き下さいました。この根本的な「今」という世界は、尊師の絶対実在の、絶対認識から出て来ていると思われます。
いわゆる実践といっても、ただ単に何かをやるという、現実にこの五体をもって何かをやるということだけが実践なのではなくて、尊師の『驀進日本の心と力』のご本の中に、尊師は「日本学的大乗仏教の樹立」ということの一文をお書きになっておられます。実在世界を完全に肯定されて、「その実在世界、その荘厳の金剛不壊、実相世界、その世界のみがあるのである」と。そして現象のうつりかわる五薀の世界、この五薀は無いのである。肉体も心も物質もないのであると、全否定した奥に、完全に実相という実在を肯定したときに、それが自ずと、もはや前進せずにはおられなく、もはや、顕われずにはいられないものに到達する。その実在の展開として、実在が展開するということが、それのみが実践なのであるということなのであります。あくまでも、この意味においての実践ということであります。実在し展開せざるを得ないのが「今」であります。そしてこの「今」というものに到達することが「忠」ということであるという風にお説き下さっています。
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