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本流対策室/3 板
1679
:
志恩
:2012/09/30(日) 03:37:59 ID:.QY5jUA6
ネット情報
谷口雅宣先生(1951.12.24~)
生い立ち
清超先生夫妻の二男だが、長男は夭逝しており、実質的には谷口家と生長の家の3代目と認知される。
青山学院大学法学部卒業後は米コロンビア大学に留学し、修士課程修了(国際関係論)。
帰国後は産経新聞横浜支局に新聞記者として勤務する。1979年、当時スチュワーデスをしていた小野純子さんと結婚する。
その後、新聞社を辞して生長の家の教団に奉職し、主に広報・出版・総合企画部門で手腕を振るう。
副総裁時代
1985年6月17日に雅春先生が死去すると、同年11月22日に父の清超先生が第2代総裁に就任。
その後1990年の同日に、当時教団の副理事長をしていたが、副総裁に就任。
清超先生と共に講習会への講師としての出講を行うようになっていく。
1993年、「国際平和信仰運動」を提唱し推進、日本政府による太平洋戦争(大東亜戦争)への反省や戦争責任の追及、
人権感覚からの女系・女性天皇の推進を表明するなど、これまでの愛国・保守(=右翼)的教義の転換を積極的に進めている。
また近年では、地球環境問題や遺伝子操作・生命倫理問題、エネルギー問題などの現代科学に対する宗教者の立場からの主張が多く、
教団の教義にもその意向が強く現れてきている。
これまで生長の家は他教団と異なり内部分裂などは全くなかったが、ここにきてこうした雅宣先生の志向性や教団運営に対し、
生長の家の幹部だけでなく一般信者からもその宗教的資質に関し疑問の念を呈する者が出始めており、
しかもその数は徐々に増えつつある。 2005年2月頃、清超が体調を崩したことにより、
総裁職の業務の大半を行う「総裁代行」を兼務。以後実質的な教団の指導者として運営を行っている。
総裁就任
2008年10月28日、清超先生の死去に伴い、2009年3月1日の立教記念日に「生長の家総裁法燈継承祭」を執り行い、
第3代生長の家総裁に就任。
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