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本流対策室/3 板

1672志恩:2012/09/30(日) 01:10:25 ID:.QY5jUA6
 生長の家の信者の方から論文を頂きました。長文ですが、この出版中止問題を考える上で、非常に示唆に富んでいますので、掲載させていただきました。


●「生長の家」の運動方針についての批判(竹之内虎治郎)

①「天皇国・日本」とはどういうことか

 どうも変だ、変だと思いながら、ほとんど惰性で「生長の家」の信徒としての生活を送りながら、諸先生方の書いたり言ったりしているのをいろいろと検討していて、
 ついにその元凶と思われる文書に行きついた。それは平成十一年四月一日付けの『聖使命』紙に掲載された「生長の家」副総裁谷口雅宣氏の「運動の歴史と『天皇国・日本』」と題した新年度の「運動方針」について解説した一文である。

この運動方針がその後変更されたという発表はないから、現在でもこの運動方針で教団が運営されているとみられる。

 そこでは「天皇国・日本」「政教分離」についての途方もない誤りがあり、
その誤った解釈で教団が運営されていたのかと思うと“ぞっと”戦慄せざるを得ないのである。

 谷口雅宣氏はその運動方針を説明するにあたって総裁谷口清超先生の『生長の家は伸びる−−−両軸体制ハンドブック』の文章を巧みに引用して、
その権威の影に隠れるような形を装って、それへの批判は総裁先生への批判であるかのような印象を読者にあたえながら、

巧みに批判を避けようとしている。

ところが、総裁先生の「天皇国・日本」「政教分離」についてのお考えはまったく違っているのである。

 谷口雅宣氏は「天皇国・日本」について、歴史の進歩とともに「だんだんそれに(神の国に)近づいていく」という十九世紀的な歴史的進化主義の立場をとっている。

 同氏によれば「『天皇国・日本』というのは、天皇のご生活−−−これは、我々はいろいろな所で教わっていますが−−−神意を第一として物事を行っていかれるという天皇の生き方、

神意が中心になる生き方が、我々個人のレベルにもどんどん弘まっていくことによって、それば民主主義の国だったら、結果的として、そういう神意を重んじる政治家が多く選ばれるであろうし、

そういう経済活動が行われるであろうし、そういう学問が研究されていくであろう。そして、神の国に近づいた国家が現実のものとなる−−−こういう文脈の中で『天皇国・日本』は説かれているのです」という。


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