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本流対策室/3 板
1671
:
志恩
:2012/09/30(日) 01:00:08 ID:.QY5jUA6
(つづき)
これは非常に重要な内容である。
生長の家という教団は、総裁・副総裁が最高指導者であり、『人類光明化運動指針』には、「生長の家大神−総裁・副総裁−御教え。
この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない」とある。
総裁・副総裁を通して「神意」が示されると言っているのであるから、生長の家の信徒は、総裁・副総裁が説く教義を絶対的に信じなければならない。少なくとも信徒にはそう説いてきた。
特に、雅宣副総裁の「大東亜戦争侵略論」に対して教団の内外から批判が起こった時、教団は、『指針』のこの箇所を根拠として、
「教えは、総裁・副総裁を通して『今』天降るものだから、谷口雅春先生の昔の文章の一部を引き合いに出して、雅宣副総裁を批判するのは誤りである。
生長の家の『原点』は谷口雅春先生の昔の文章の一部のことではなく、『今』総裁・副総裁を通じて説かれる教えのことだ」という意味のことを言って、信徒の批判を封じ込めた。
ところが、谷口清超総裁があれほど褒めていた『台湾人と日本精神』の出版中止は、神意が天降るとされる「総裁」を無視して、雅宣氏の独断で決めてしまったのである。
清超総裁が預かり知らないところで決定され実行されたのである。父親であり師であり、しかも清超総裁は、出版中止は行うべきではなかったと言っておられるのである。
つまり、教団の中心であり、絶対的指導者であり、神意が天降る人として一体であるはずの総裁と副総裁の考え方が異なってしまったのである。
(この頁は,終わりますが、まだ続きます)
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