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本流対策室/3 板
1565
:
さくら
:2012/09/29(土) 09:45:41 ID:pCbgCqCs
心の思いと、物の負債とにかかわらず、借りものがあったら利息をつけて返すこと。神の前に出て、もう誰とも仲の悪い人はございません、争っている人はございません、すべての憎みと恨みとは完全に水に流しました。もう誰にも負債はありませんと、おおらかな気持で言いうるようになれない人は、まだ心に病のある人です。人の世に生活して、それほどの心になれる人は少ないにしても、それほどの心になれないかぎりわたしたちは神の前にいと小さき者である。
心の思いと、物の負債とにかかわらず、借りものがあったら利息をつけて返すこと。神の前に出て、もう誰とも仲の悪い人はございません、争っている人はございません、すべての憎みと恨みとは完全に水に流しました。もう誰にも負債はありませんと、おおらかな気持で言いうるようになれない人は、まだ心に病のある人です。人の世に生活して、それほどの心になれる人は少ないにしても、それほどの心になれないかぎりわたしたちは神の前にいと小さき者である。もしわたしたちが神の前にいと小さき者であるならば、わたしたちは人を責める資格はない、人を怒る資格はない、人を恨む資格はない。わたしたちは人を赦すほかに仕方がないのである。
ただわたしたちが人を赦したときにのみ神に赦されるのである。ただ人と仲よしになったときにのみわたしたちは神と仲よしになることができるのである。仲よしになった時の愉快な心持を本当に知るものは、人と仲が悪くなれるものではない。人が人と仲よしになれないのは、幸福というものはただ「心が愉快である」ことだというかくも平明な真理に眼を閉ざしていて、幸福というものがなんら心の愉快にあるのではなく、物の多いということになると考えたり、虚栄、虚名が多いということにあると考えたりして、物と、虚栄、虚名を断じて放すまいとして傲然として構えているからである。」
谷口雅春著
『生命の實相』38巻P34項〜
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