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本流対策室/3 板
1492
:
解説者
:2012/09/28(金) 11:19:08 ID:???
吉田國太郎先生著『常樂への道』〜住相精進の境を超えて〜より
「(前略)もう一歩なのだけれども、紙一重なのだけれども、よく判りはするのだけれども、その境に渋滞して徒に近くして遠い嘆きを嘆かねばならない世界を超える為には、私がの力によっての励みをすべての、一度撥無しなければならないのである。藭に眞理に相對するところの心が、己の励みによって、藭の完さに到らうとはげむ。そんな心の上に咲く誤れる誠實、誤れる謙虚、これら全てを捨てなければならない。然し、藭のみ唯一の實在、此の眞理に盲目となり、自分に禍するそんな悪しき存在があると思って、その存在を殺しにかゝつたならば、それは既に無いものに轉ぜられてゐる迷である。眞實の自分に仇する悪しきものが存在するとの迷ひは烈しい力で私達の心に喰ひ入ってゐる。そして兎もすれば、悪さを殺そうとする迷ひの世界へ顛落しようとし勝ちである。完くありたい、藭の御前に恥ぢない人間でありたいとの心旺んなる日、此処が大きな躓きとなることがある。現象は無いということ。不完全は無いということ。何を措いても此処の悟りが牢固として動かないこと。此の世の眞意實相にはっきりと目覚めてあること。完全のみがあり、それ以外は天地間に一物の存在もないことを悟ること。肯くこと。信ずること。素直にハイと受けること。其処が道である。わしがの無い世界への生れ変りである。(後略)」
>現象は無いということ。不完全は無いということ。何を措いても此処の悟りが牢固として動かないこと。<
すなわち、日々の神想観の中で、完全円満なる、大調和の、実相世界を祈る。
この行為が「何もしていない」とは私は思えない。
魂の奥底から真に読めば、祈ることが「何もしていない」ことになるのだろうか?
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