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本流対策室/3 板

1346さくら:2012/09/24(月) 21:05:11 ID:e8ieIrPA
「大東亜戦争において日本に責任がある」との発言は、
生長の家の総裁のお立場として問題があることです。

しかし、たとえば、一般的には、こうした意見があっても仕方ありませんよね、
そのときには、冷静に事実を検証し、そのような事実はないということを主張すればよいです。
あるいは、その知らないことを批判するだけでなく、そのことを気の毒に思い教えて差し上げたり、子供たちに教育していくことを考えたりすることが、どちらかというと宗教の役割だと思っています。
おかしいことをおかしいといい続ける、生長の家は、それ以上の使命があるのではないでしょうかと・・。

わたしは意見の対立より、どちらかを絶対として、話し合いのもてない環境こそ、
問題だと思うのです。

司馬遼太郎が「雑談『昭和』への道」の中で、
日露戦争直後のジャーナリズムに関してこのように言っているそうです。
「(当時のジャーナリズムが)・・・日露戦争は実際はどうだったのかと追求する能力があったらとしたらですね、太平洋戦争はおこらなかったかもしれません。日本はよくやった、兵士達は勇敢に死んだ。しかし、あれは危ういところでいろいろ政治的な手を売ったからよかった、決して日本が強かったわけではないんだと。海軍の日本海海戦の勝ち方にしても、こういうデータがあったから勝てたのだと、クールに、客観視して、自分を絶対化せずに相対化するジャーナリズムがあったらなと思うのです。そういうレベルの言論があれば、太平洋戦争は起こらなかったと思いますね。日本軍は満州事変以後、自己を絶対化することによって、国を誤っていくわけです」
これは、太平洋戦争が防げたかどうかということはともかく、
問題が起こったとき、自分を絶対化せず、相対化して客観的に考えていくことで、組織などで方向を誤ったとき歯止めが効かない状況を防ぐことができたり、そこに起こっていることの本質はなにか、という問題点や解決法が見えてきて、無駄な争いを避けることができるのではないかと思っています。


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