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本流対策室/3 板

1209さくら:2012/09/21(金) 22:14:49 ID:e8ieIrPA
元本部職員sさま(つづき)

政治的な緊迫した状況は、理解いたしますし、
そのために、生長の家のみ教えの役割が非常に重要ということは、その通りだと思います。
正しい国家観に基づいた国政が大切だとおもいます。

今の教団の言い分ですが、宗教が政治的運動すれば、結局は対立構造に組み込まれ、政党に利用されるのがせいぜいで、それは、生長の家の「信仰運動」ではない、ということですね。

雅春先生は、確かに時代背景もあって、政治運動が必然だったところは否定できませんし、その想いは、日本国実相顕現の切実な祈りからの行動だと理解しています。

ただ、その後の、政治運動への失望を吐露されたことや、宗教団体としての使命は純粋な信仰の深化にあるとして、結局は、信仰を求める信徒を大切にされたこと、
日本国実相顕現の宗教の使命は祈りにあるとして、龍宮住吉本宮で、祈りに徹せられたことなどが、生長の家の政治運動の撤退であったとおもうのですが、
それは、最終的な雅春先生の想いであられたのではないのでしょうか。

もちろん、政治的信念を発言して行き、国の行く末を語るのは大切なこととおもいますから、生長の家として正しい国家観、日本国実相を教えのなかでとき伝えることを、優先すべきだと思ってます。
それは、宗教としては、普及と祈りの実践ではないかと思うのです。

だから、生長の家の教えによる国家観に基づいた信念をもったかたが、外部団体などで、政治運動をされるのは、すばらしいこととおもいます。

宗教団体は、信仰の深化としてあるべきで、思想闘争の場であり、闘う場所ではないのではないかということです。


>ただ・・今は 内部の「思想闘争」と外部の「思想闘争」の明け暮れでしょうね。
これが収まらない限りは、さくら様の言われるような「世の中にもっと生長の家の根本の教えが広まるように、
そして、その広がり方も愛によるもので、人々に生きる力を与えて行く活動を、先決に・・・」ということは理想論になってしまいそうです。


わたしは、教えを自分の良心にしたがって広めることは、信仰の現実を言っているので、理想論ではないと考えています。
現実に自分の周りの困ってる人、それを助けたいと思うこころは、現実ですよね…。

思想闘争こそ、お互いの理想論のぶつけ合いではないかと、感じるのです。
「人類の幸福」の理想論のための争いに、小さなおもいやりや愛情が、軽視されていることは、ないでしょうか?


…はあ…言葉が足りなくて失礼な表現があれば、申し訳ありません…、、
想いを言葉にするのは、わたしには、小さなことでも、一苦労です、、

元本部職員sさまの、寛大なこころに甘えるしかありません…、

ありがとうございます。


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