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本流対策室/3 板
1151
:
解説者
:2012/09/20(木) 22:02:44 ID:???
今日は掲示板を眺めながらいろいろ考えました。
人間智の、裁判の「和解」と宗教上の「和解」は違います。
それは明確にすべき点であると思います。
本流派と教団が裁判で和解するのはおそらく無理でしょう。
人間智の、裁判での和解は、妥協や譲歩を重ねての結果であり、
和解したからといって相手を赦せるか赦せないかはまた別の話になります。
しかし、宗教上の和解とは
「本当の和解は互いに怺え合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ。
怺えたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ。
感謝し合ったとき本当の和解が成立する」
ということです。釈迦に説法ですね。
すべての生長の家信徒がめざすべき和解は、
やはり後者だと思うのです。
前にさくらさんが紹介してくださった体験談、
自分に殴りかかってきた父親を拝んだというのは
本当に生長の家らしい話だと思います。
誰が考えても家族のなかで悪いのは愛人を作った父親です。
しかし、「お父さんごめんなさい」と謝罪したのは、
一番の被害者である息子と妻だったわけです。
いや、善悪や謝罪はもはや関係ないですね。
大調和を説く生長の家信徒、本流派も教団も和解派も一丸となって和解を祈る。
天気さえも変えてしまうほどの力があるんですよね?
生長の家教団内の調和のみならず、
日本や世界の陰極も必ず陽転すると私は確信しております。
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