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「部室」板/3

327さくら:2012/06/27(水) 22:36:20 ID:uSGRBL7.
初心者さま
たまに戻る住人さま

道の友・・・利休を語ってくださるのですか・・
なんと、うれしゅうございます。
まあ、ここはゆっくりと、まずは一服どうぞ・・。

わたしは利休の美意識のことについて知ったばかりですが、
これについて考えると、途方もない気持ちがするほどなのですよね、。
タナトスという感覚について、繋がるのはわかるような気がします。

実は、先日、利休が長治郎に造らせた国宝「無一物」という銘がついた、
赤楽の茶碗を見てきたんです。
案外小さな、そして、丸みのやさしい抹茶茶碗で、正直物足りないほどさりげないと感じました。
しかしですね、。この茶碗がすごいのは、鑑賞しただけではわからないようですよ。

利休が造らせた茶室は、究極の、「二畳の宇宙」と呼ばれる狭さにまで凝縮されたわけですが、これは窓のない、薄暗く、何もない空間です。
亭主と客、茶。それだけです。入ったときの独特の緊張感と、あまりに何もない空間で、視点を失い、ある意味無限の空間のようにも感じられる、そんなことから、「宇宙」というのは感覚的にも、実感されたようです。
このぎりぎりに凝縮された空間もすごいのですが、この茶室で利休が使った黒楽は、この闇に融けて、黒い服を着た利休の白い手が浮かぶように見える計算されているようなのです。

赤楽は、窓がある茶室で使われました。
ちょうど、茶の時間に、点前をする手元に光が入るようになっているのです。
これは、この柔らかく渋みのある赤が、光に融けるように計算されたからなんですよ。
何が起こるかというと、利休の手から、この茶碗がまるで消えてしまっているようにも見えるようなんです。
「無一物」
利休は究極、物質の世界を超越する、「美」のみの世界を、
本当に、というか、本気で実現させようとした、ほんと「酔狂の極みの人」だったんだな、と、感じるのです。

禅の言葉に「無分別」という言葉がありますが、本来は、いま使っている意味とは違っているのですね。
既存の価値判断や、相対的思考、正邪を区別する、高低をつけて人を判断する、(そういえばこれは、ロゴス的価値判断となりますね)そういうものを分けて考えない、という、むしろ、肯定的な意味です。わからないものをわからないまま捉える、という意味もあるみたいですが、これは、禅の悟りの姿勢で大切なものらしいですよね。
まあ、右脳的把握、とも言えそうですね。

美の世界は、この無分別に通じるような気がするのです。
利休は、あの時代に、身分の高低や、この世の価値判断をすべて超越した、
究極の美の価値を、この世に広めようとしたのですから、危険な人物になっていったのも、不思議ではないのではないと、そんなことからも思えます。

利休が、美に目覚めるほど、この世では、「狂」の世界に入っていくというのは、
・・不思議ですね。
これは、真実に目覚めるほど、キリストは十字架に向かっていったのにも通じる気がするのですが、・・どうなのでしょう。
ですので、その点が、初心者さまが示す、タナトスのなにかと通じるのかな、とそのところはかんじるところはあります。
たま住さまが仰るように、「死」を超越する、美や真実の世界なのでは、と。

「わびさび」については、これについても、・・ちょっと興奮を覚えるほど、笑、
生命力と創造力にあふれた精神なのですけど・・


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