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「部室」板/3

1542goro:2012/09/18(火) 23:39:10 ID:Cc8Z7oOY

(2)「神ながらの道」が歴史を一貫

 6〜7世紀のわが国に、シナから儒教・道教・仏教が入ってきたとき、日本人はわが国固有の神道を保ちながら、
外来の思想・宗教を取り入れた。固有の宗教を土台として、その上に、儒教・道教・仏教が融和・総合された。
こうして固有の精神を失うことなく、外来の文化を摂取して、精神文化を豊かに発展させてきた。神道は、
「神の道」「神ながらの道」であり、神代から伝わってきて、神慮のままで、人為を加えぬ日本固有の道である。
自然崇拝・祖先崇拝を元にした宗教である。

 以前書いたように古代のシナにも、自然崇拝・祖先崇拝の宗教があった。
天神地祇への信仰であり、祖先の霊への信仰である。これは、日本風に言えば、シナの神道となるだろう。
古代のシナでは、「神ながらの道」を踏んで政治を行った聖王の治世が理想化され、「先王の道」とされた。
儒教では「先王の道」の復活を目指して「修己治人の道」が発達した。これに対抗して、老子の「無為自然の道」が思索されもした。

 これに対し、わが国では、神話の神々を祖先に持つ皇室が、建国以来、民族の中心にあって、現代まで脈々と続いている。
シナで言えば、三皇五帝が単に神話・伝説上の存在ではなく、彼らの子孫である王家が、古代から一貫して継承され、
現代においてなお存在しているようなものである。それゆえ、わが国においては、「神ながらの道」が途切れることなく、
歴史を貫いてきた。「先王の道」は失われることなく、代々の天皇に継承・実践されてきた。国民は仏教や儒教、
道教を養分として取り入れて、独自の精神文化を発達させてきた。

 このような文化発展が可能となったことには、聖徳太子の功績が大きい。
太子は、シナから流入する思想・宗教の文献を読破し、日本独自の理念を打ち立てた。
それが「和」である。太子が制定し十七条憲法は、「和をもって尊しとなし」と始まり、
「和」をわが国の基本理念に定めた。


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