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「部室」板/3

1532goro:2012/09/17(月) 01:26:19 ID:Cc8Z7oOY

◆無にして有、ゼロにして無限大
 天御中主命は、ユダヤ=キリスト教的な「有」の神ではありえない。
また、宇宙をその外から製造したり、人間の世界に介入する人格神でもない。
「有」の世界にある私たちには、見ることのできない「無」の神である。
しかし、存在しないのでない。相対の次元にある私たちには対象化できない、
絶対の次元そのものを象徴するものと思われる。

 私は、有形的な「一」というより、無形的な「ゼロ(0)」にしてかつ「無限大(∞)」
といった限界概念だと考えている。仏教にいう「空」にあたるだろう。言語や論理を超えている。
しかし、まさにそれによって、自己があり、世界がある。 点とは位置だけあって、面積のないものと定義される。
「有」だが「無」でもあるわけである。小学校で使ったものさしがある。ものさしの長さは、30センチだが、
その中には何個の点が入るか。無限大に入る。「有」でもあり「無」でもあるものが、有限の中に無限大にある。
 不思議な世界である。それが、私たちが生き、死にしている、この世界である。

上記のように考えると、天御中主命を本源の神とする神々の体系についても、
一神教か多神教かというような単純な論理ではとらえられない。むしろ大変高度な世界観を表現したものと思う。

 天御中主命を「カミ」に置き換え、『古事記』や神道の諸派から切り離して考えることも可能である。
日本人が古来、「カミ」と呼んで崇め、畏れ、また親しんできたものは、一神教でも多神教でもとらえられない。
一神教も多神教もみなそこから湧き出てくるところの本源、絶対の次元を象徴するものと考えられるわけである。


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