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「部室」板/3
1529
:
goro
:2012/09/15(土) 12:11:47 ID:Cc8Z7oOY
そこで現代的な観点に立って、一神教か多神教ということに話を戻すことにしよう。
多神教は広義では、アニミズムを含める場合があるので、ここではアニミズムも含めて、
多神教と呼ぶことにする。先ほど「カミ」について書いたが、仮にそれを天御中主命という名前に置き換えれば、
自然の事物や現象、人間の霊魂や生きている人間もみな「カミ」と呼ばれるものは、
天御中主命という本源の神の現れだというとらえ方となる。すると、わが神道では、
「多」であるところの神々は、「一」であるところの本源の神の現象または姿ともいえる。
「多」の相を見れば多神教的だが、「一」の源を思えば一神教的でもある。
こうした関係は、唯一男性神を基準におく「一」か「多」か、という単純な形式論理ではとらえられない。
また、「有」である神の運動を根本においた、ヘーゲル的な「有」の弁証法でもとらえられない。
そこで、しばしば哲学者や宗教学者によって、西田哲学の場所的論理が援用されるわけである。
西田哲学とは、西田幾多郎の哲学のことであり、難解で有名である。西田の場所的論理とは、
「一即多、多即一」「絶対の無即有」という論理である。そこに、一神教でもなく多神教でもなく、
また一神教でもあり多神教でもあるようなものにアプローチする手立てがあると思う。
つづく
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