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「部室」板/3
1276
:
「訊け」管理人
:2012/08/31(金) 08:11:38 ID:???
こんにちは。「スミ!」と書いたつもりが、「スキ!」になっていた「訊け」管理人です。しかも、赤ペンで書いて仕舞いましたんで、なんか、乙女チックな手帳になりました。・・・(中略)・・・そう云えば「胸の内」を「胸の肉」と書いてしまった、女子が以前おりました。吐露したかった胸の内ですが、それ「胸の肉」関連マターだったんでしょうか・・・(中略)・・・どうでもいい話題ですね?はい、という事でさっそく本題へ。
>ユタカさま
おひさしぶりでございます。ちなみに中村さん(栄える会)は以前、講演を聞きに行ったことがあります。部外者の私ですが栄える会の方、招待してくださったので鹿児島で、同氏のご講話を聞きました。ものすごく実践的な内容で非常に参考になりました。
同氏は非常に「怒りっぽい方」だったそうです。私以上に血の気が多い、そんな印象でした。そして同時に安心もしました。いや、どんな安心かと申せば「オレよりも血の気の多いこの方が、成功するんだ。ならばオレも大丈夫」と(笑)
>ハマナスさま
<『甘露の法雨』に「感謝」の言葉が出てこない件>
この件に、触れて参ります。なお、『弟子像』を再度拝読しなにか解ったら、再報告致します。以下よろしくお願いします。
で、この件――『甘露の法雨』に「感謝」という言葉が一度も出てこない件ですが、こう比較すると解り易いのかもしれません。どう比較するかと申せば「逆に」と・・・・逆に「大調和の神示」には「實相」という言葉、これが一度も出て来ません。これは、なぜでしょうか。
この視点に関しては、以下ご文章(榎本先生のもの)が参考になるかもしれません。
(参考資料)
榎本惠吾記念館文書館より――
とにかくそのまま完全の實相を喜べという温かさの極みにおいて天降っているのが「大調和の神示」であります。「神に感謝しても父母に感謝し得ないものは神の心にかなわぬ」と書かれていますが、どこが、何が神の心にかなわないのでしょうか。それは、神様からすれば、「初めのはじめから無条件に、生きとし生けるものとして生かして1度も離れたことなく、神である私のいのちが現われてお前となっているのに、今さら感謝したり、拝んだりしなければ現われないと思っているのか、そんな離れた想いが私にはさびしいよ」というほどの意味なのであります。「私(神)のほうはいいから、父母をはじめあなたを取り巻くすべてのものに感謝してくれれば私はいちばん嬉しいのであり、すべてのものもまた私であるから私は嬉しいのだよ」ということなのです。
(引用終了)
○全文は以下記事――「感謝されなくても私は輝いているよ」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65647320.html
上記記事(全文ヴァージョン)の中にはある、答えがあります。どうぞ探して読んでみてください。
・・・・ところで、『甘露の法雨』の件ですが、なぜここには「感謝」が出てこないのか――たしか、實相を知るときそこには、「自ずから感謝が現れるから」という意味だったと思います。つまり、わざわざ「感謝」の言葉を使わなくても實相、これを『甘露の法雨』にて知れば自然と、「感謝の気持ちが湧いてくるのだ」という、そんな趣旨の説明だったと記憶しております。(調べてなにか解ったら、掲載します)
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