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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

937うのはな:2013/02/24(日) 19:30:32 ID:lwe/Gduk

外国の映画などを観ていると、「祈り」の場面がたくさん出て来ます。
食事の前に祈り、寝る前に祈り、教会に行っては、また祈り....。
イスラム教では、聖地の方角に向かって、一日に何度も祈りを捧げることが習慣と
されているのは有名ですが、その他の宗教でも、「祈り」は日常的な習慣として定着しており、
生活のあらゆる場面に根ざしているように見えます。

 それに対して、現代の日本はどうかと言うと...。お仏壇や神棚があるお家では、日常的にお祈りを捧げることが
習慣になっているかもしれませんが、それらがなければ、意識的に祈るのは、お墓参りのときと、初詣のときぐらい...
という方も珍しくはないでしょう。世界中で、「祈り」は習慣化されているのに、日本では、「祈り」の習慣があまり定着していない
ように見えるのはどうしてでしょうか?

「祈り」とは、「神聖視する対象になんらかの意思疎通や交信を図ろうとする人間の行動様式である」と定義されています。
日本語の語源からみると、「祈り」とは「意・宣(の)る」。つまり、「自分の意識や思いを口に出して表現すること」という意味であり、
神様と呼ばれるような「大いなる存在」に対して、自らの神聖な思いを表現すること全般が、「祈り」であるといえるかもしれません。

 そういう視点で考えると、もともと日本語そのものが、祈り言葉だと言えるでしょう。
日本語は、口語ではほとんど主語も、目的語もありません。特に「ひらかな」だけで表現される、外国語に翻訳できないような、日本語独特の言い回しは、
文法的に考えると、さっぱり意味がわかりません。

「ありがとう」「おかげさま」「もったいない」「いただきます」「ただいま」「ごめんなさい」などなど....。
これらの言葉には、主語もなければ、目的語もないし、何より動詞だか、形容詞なんだかさえ、はっきりしません。
しかし、ここにこそ、日本語の特徴が隠されているのです。
 これらの言葉は、目の前の相手はもちろん、自分自身を含めた「目に見える存在」、「目に見えない存在」など、
あらゆるものを対象にした、まさしく「祈り言葉」なのです。
 だから、動詞でも、形容詞でも、主語も、目的語もつかなかったのです。

『運命の波にのる 魔法のクセ』 はづき虹映 著


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