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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

898うのはな:2012/12/23(日) 22:08:47 ID:pdwtTUcA

ある女性が面白い話をしていました。
彼女は亡くなった母親の写真を身近に置き、毎日母親の顔を見ることを習慣にしているそうです。
同じ写真ですから、そこに映っている母親の表情は変わりません。
 しかし、母親が静かに笑っているように見える日があれば、なんだか悲しそうな表情をしているように
見える日もあります。怒っているように見える日もあれば、思い悩んでいるように見える日もあります。
彼女は、ある日、気づいたそうです。
「お母さんの顔が笑っているように見える日は、私が楽しい気分でいる時だ。お母さんが悲しそうな顔をしているように
見える日は、私自身が悲しい思いでいる時だ。つまりお母さんの顔の表情は、私自身の心の鏡なのだ」と。

 それに気づいてから彼女は、母親の写真に目をやる時には、意識して自分の心を明るくし、またほほ笑みながら写真を見るように
努力しているといいます。亡くなった親の写真を身近に置き、折に触れて写真を眺めることを習慣にするのは、天国の親にとってはうれしい
ことだと思います。きっと天国の親も、子供の顔を見たいと思っています。自分の親の写真へ目をやる時、きっと親も写真を通して自分の顔を
見ているのではないでしょうか。ですから、彼女のように、親の写真へ目をやる時、明るくほほ笑んでいる顔を見せてくれれば、天国の親はもっとうれしい
気持ちになるでしょう。

 江戸時代の人形浄瑠璃のセリフに、「子鳥が鳴けば親鳥も鳴く。これは生き物に共通した特徴なのだ」という言葉があります。
これは、「子鳥が鳴けば親鳥も鳴くように、人間の親子も、子供が悲しい思いをしている時は、親も悲しい思いとなる。子供が落ち込んでいる時には、親も気持ちが
落ち込む。子供がうれしそうにしている時には、親もうれしい気持ちになる。親子はそのように気持ちが通じあっているものなのだ」という意味が表されています。

気持ちが通じあっているのは、天国にいる親であろうと同じことだと思います。
先ほどの女性は、「自分が悲しい気持ちで親の写真を見るから、写真の親も悲しそうな顔をしているように見えてくる」と言っていました。
現実的にはそれが正しいのでしょうが、次のように考えることもできるように思います。
「自分が悲しい思いをしていると、その気持ちが通じて、天国の親も悲しい気持ちになってしまう。写真の悲しいそうな表情は、本当に天国の親の気持ちだ」と。

 天国の親を喜ばせてあげるのも、立派な親孝行になります。
そのためには、いつも自分が前向きで明るい気持ちでいられるように努力するのがいいと思います。
明るく物事を考え、楽観的でいるのがいいのです。

 その気持ちは天国へ通じて、親を明るい気持ちにしてあげられるでしょう。
 そして写真に写る親の顔も、いつも笑っているように見えてくるはずです。

  『天国の親が喜ぶ39の習慣』 植西 聡 著


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