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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

878a hope:2012/12/01(土) 23:58:21 ID:ueIDSztA
生長の家使徒行法 伝道物語 楠本加美野先生著
○月○日 父の声は神の声

生長の家に献(ささ)げる生活をしたいのだが、家族(両親、夫または妻)の反対があるために、
できにくいという“家庭と使命感”の問題で悩んでいる方のために、私の体験を書かせていただきます。

入信以来十年間位、父は私が生長の家を信じていることを快く思っていなかった。
それは生長の家であるのに、私が父を軽蔑していたからであった。
しかし昭和二十三年十一月の練成をうけることによって、はじめて父母に感謝できるようになった。

十二月の冬休みに家に帰ったのは、親孝行を実践するためであった。
それまで父に反対ばかりしていた私が、何でも「ハイ」と従う決心をしたのである。
途端に、それを試みられるように問題がおきた。
父は、親に感謝できるようになった私と共に、新年を迎えたいというのである。

私は、元旦の零時に飛田給道場の祈りの間で神想観をして、これからの人生の生き方を決めたかった。
つまり、私は飛田給で新年を迎えたかったのである。父に従うか、生長の家に従うべきか?私は迷った。

生長の家では、父の言葉には「ハイ」と従えと教えている。
しかし、そんな気持ちにさせていただいたのは、生長の家のお陰ではないか。
真理か家庭か……。

キリストは母に対して、“我と汝と何のかかわりあらんや”と言った。
釈迦は“出家”と称して、親も妻子をもすてて道に従った。
真理を第一にした時、結局は真の家族の幸福(しあわせ)も成就したのではないか……。
真理を第一にすべきだ、と私の決意が固まりかけたとき、
“神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ”という言葉が、心の奥底から強く訴えてきた。
その言葉は、釈迦もキリストもどうすることもできなかった。私は祈る以外に道がなかった。

十二月二十八日の朝、神想観をした。“神よ、御意(みこころ)のままになしたまえ”と切実に祈った。
そのとき“父の声は神の声”と力強くひびいてきた。途端に、寝ているはずの父の声が聞こえた。

「ああ、気持のいい朝だ」と。私はびっくりして後ろを振り向いたとき、
いまだかつて見たことのない父の笑顔を見たのであった。

私は父の声に従う決心をした。そのときを契機として、父は変わった。
つまり、私に協力してくれるようになったわけである。
父の反対は、私の信仰を真物にするための反対であったのである。
すべては、抵抗によって前進する、空気の抵抗があるために、飛行機は前進する、レールの抵抗で汽車は前進する。
私たちの信仰も、抵抗があるので深化されるものなのである。
こうして元旦零時の神想観ができた。その神想観によって、私は生長の家に献げる決心ができ、私の道場生活がはじまったのである。
今日までの三十年に垂(なんな)んとする道場生活は、この神想観のお陰であった。

『釈尊の生活も、キリストの生活も、家庭生活や、実際生活という面では、それを成就したと言うことができません。
だから釈尊の生まれたマカダ国も滅び、イエスの生まれたユダヤも長く独立することができませんでした。
特殊の使命と天才とをもった人のほかには、このような家庭生活や国家破壊の道には、ついて行けないのです。
そこにこれらの教えの足りないところがあると思うのであります。その足りないところを補うために、
そして釈尊の教え、キリストの教えを成就するために出現したのが生長の家であります。
(谷口雅春著・楠本加美野編『信仰の活人剣』)』

と、谷口雅春先生の御言葉にあるように、仏教とキリスト教を成就する偉大な教えにふれた私達の使命もまた偉大であり、
偉大な私達であればこそ、そこに次々と難しい問題が与えられるわけで、それも信仰深化の観世音菩薩のはたらきであります。

(謹写終わり)

感謝 合掌


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