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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2
721
:
うのはな
:2012/10/17(水) 17:40:51 ID:V62KUiUw
『幸福の原理』 谷口雅春 先生著P64〜
ここで申し上げたいのは、生長の家は佛教家から時々、「あれは正当の佛教ではない。あれは外道だ」
というような批評を聞くことが往々あります。併し外道が悪いということはないのです。
外道というと、外の道と書いてあるのですが、お化けのことでも鬼のことでもない。外道というのはお釈迦さんの
説いた佛教ではないというだけのことです。
キリスト教などもお釈迦さんが説いたのではないから外道であります。佛教よりも立派な道が外道にあるかもしれないのであります。
橋本徹馬氏の『紫雲荘百話』という本の中に、生長の家の批評を書いているところがあります。
氏はヘッケルの『生命の謎』という書物を引用して、物質は無・ただ生命のみ實在するというと、結論に導いているのですが、その書の一説に、
ある佛教の大家が生長の家は佛教の本物でない。こういう批評をしているけれども、佛教の本物で挙げているような功績よりも、まだまだ實際に色々の
奇蹟を現わし、神秘を現わして、人間を一層本当の人間たらしめ、死生を超越せしめ、世の中を實際に救っているような点から言ったならば、佛教の本物か
うそ物か、そんなことはどうでもいいではないか と言って批評を書いていらっしゃるのであります。
橋田邦彦氏の本にも「あんな佛教が何派にも岐れておって、みんな自分が正しい正しいと被仰っている。
これを思ったならば、佛教の本物なんてどれか判らないじゃないか」と書いてありました。
印度渡来の本物であろうが、舶来でなかろうが、日本で出来たものであろうが、出所が何所かということよりも、
その教えが真理であって、もっと立派に役に立ったらその方が却って好いのであります。
ところが佛教の本物に属する方の人でこういう説き方をする人がある。
「實相は空なり。空とは変化無常のすがたなり」(大谷光瑞全集)そうすると「實相を生きる」とは変化無常のすがたを
生きるということになりう、何ら理念も理想もなく、無常の流転に身を委せるのが「實相を生きる」ということになります。
これはギリシャの哲人ヘラクライトスが萬物は火で出来ているといったのと同じであります。
萬物は火で出来ているとは、萬物は常に燃えている姿だ、常に変化している相だ、何の常立のものはない、ただ変化無常の原理
だけが変化しないということになるのであります。
ある派の佛教では無常のみをとって常立(金剛不壊)ということを否定する。
しかし、涅槃経には常楽我浄ということが説かれておりまして、空の奥にある妙有實相の不滅存在を説いているのであります。
常楽我浄の「常」ということは無常ではない。常恒不滅の存在だということであります。
龍樹菩薩が龍宮海に入って持ち来ったという華厳経にも空無の奥にある實相世界の荘厳きわまりなき状態が書かれているのであります。
龍宮海とは「ウミの底」にある、即ち「創造(うみ)の本源(そこ)」の世界であって単なる「空」の世界ではないのであります。
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