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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

714うのはな:2012/10/08(月) 15:44:39 ID:ql9uKkCg
いかに心のあり方について目を向けていないか

 読者の中には、なぜ私があえて宗教・宗派の問題をとりあげるのか、不思議に
思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 その主な理由は、実際に、いろんな宗教・宗派のトップの方々が人生上のさまざまな問題
を抱えて私のもとに相談にいらっしゃるからです。

 そのたびに、その方々がいかにご自身の「心のあり方」について目を向けていないか、を痛感させられると同時に、
その方々の宗派に属している信者の育成の問題にも関わることでもあり、また見えない世界に関心のある人達にとっても
多かれ少なかれ関連のある共通のテーマではないかと思うからです。

 狭い知識、視点で「見えない世界」にとらわれてしまうと、自分自身の心がより見えにくくなってしまうのです。
つい先日も、ある宗教のトップを務める60代後半の男性が、ご自身のお子さんの問題で相談に来られました。
その男性(Tさん)は、20代の頃から当たり前のようにその教団の信者として熱心に活動を続けてきたそうです。
ところが、聞くと、その方は、その教団で毎日唱えている祝詞の意味もわからずにただただ一所懸命に回数のみ唱え、
それを何十年間も続けてきたといいます。

 しかし、自分が唱えている祝詞の意味がわかっていないので心が養われていない。
それゆえ、自分の子供に対しても教え諭すこともできない。それが結果として、子供の精神バランスを崩す原因になっていた。
これが現実の姿です。お子さんは高学歴のエリート。でも人と交わることができない。
周囲の人や社会から孤立している状態です。要するに、親としてもプライドだけの宗教家だったのです。

 私はTさんに尋ねました。「あなた方の教団では各教会に対してどんな教育をしているのですか?」
Tさんはその意味がわからに様子で、きょとんとした表情でした。そこで私はきっぱりと伝えました。
「この祝詞の意味がわからずして、いくら唱えてもムダですよ」と。
わけもわからずただやみくもに祝詞や経文を唱えていれば願が叶う、幸せになれる、というのは謝った知識で、
最も愚かなことです。

「頂戴、頂戴!どうでもいいから早く幸せを頂戴!!」と、声高らかに太鼓や木魚などでリズムをとりながらわめき続けるごとく唱える。
私はあるとき、そんな人々の姿を目の当たりにし、「我欲信仰」そのものの異常さを痛感した記憶があります。
一番大事なことは、その人がどんな心で唱えているか、です。

 これは、念仏やお題目、真言(マントラ)でも同じことで、例えば、「般若心経」を唱えたとしても、その意味を理解もせずに、ただ一心不乱に
経文を唱えていたつもりが、ただ回数のみでは、困っている先祖霊や不成仏霊が巣食うことさえあります。
 それは経文を唱えている人の心の汚れに感応する形で低級霊が憑くからです。

 心ができていない人が荒行をするのと同じで、これは宗教に属していない一般のひとでも同様の危険があるので、参考までに次に一つの例を
あげておきます。

『神様に愛される生き方・考え方』 木村藤子 著


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