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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

539金木犀:2012/06/23(土) 12:38:15 ID:qMq2iFMk
読まれた方もあるとは思いますが、あるブログに台湾人の許國雄(きょこくゆう)さん
の記事が載っていました。

(一部抜粋転載)
國雄さんの創設した学校では毎日朝礼を行い国旗「青天白日旗」を掲揚して台湾への忠誠心を養うと同時に「大和魂」の教育を目指しました。台湾で最初の日本語学科も新設しました

校舎の一部には日本間があり、そこには神棚と教育勅語が額に入れて掛けてあります。
國雄さんは言います。
「日本は昭和23年の国会で教育勅語が取り止めになったのは残念です。教育勅語で日本の教育が成長したんです。父母に孝に兄弟に友に、夫婦相和し朋友相信じ…。もういっぺん日本は教育勅語をやり直すべきです。戦後の日本には教育勅語がないから「夫婦相和」さず離婚率が高いのです。「朋友相信ジ」ないから、「いじめ」が絶えないのです。「博愛衆ニ及ボ」さないから電車で老人に席を譲らないし、「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ズ」る精神が失われたから、利己的な人間が増え国全体の名誉が蔑ろにされてしまうのです」
(中略)
大正12年、昭和天皇が皇太子の時に台湾に行啓されました。
南の高雄、さらには隣の屏東(へいとう)まで行かれる予定でしたが、その地には伝染病が蔓延していたために、行啓反対の声が強く出ました。
しかし皇太子殿下は「そこも我が国であり、我が民がいる」と言われました。それを聞いた屏東の人々は大変感激して、嘉義の山から蓬莱竹を9本苅ってきて天幕を作り、家々に日の丸を掲げて盛大にお迎えしました。
竹は枯れて淡黄褐色に変色し、芽が出ないように逆さまに地面に差してありましたが、不思議な事に皇太子殿下行啓の時には小さな新芽が出ていました。植物学者である皇太子殿下はこの新芽に目をとめられ、優しく撫でられました。

皇太子殿下が帰られてから、この新芽が成長し続けました。地元の人は「不思議な事よ」と、地面に植え直すと大きな竹林に成長し「これは瑞祥だ」として瑞竹 と呼ぶようになりました。
しかしこの瑞竹は国民党政府の反日政策によって苅られると思い、國雄さんはその一部を密かに自分の東方工芸専科学校の正門前に移植しました。これは戒厳令下の国民党政府に知られると親日的と見られ、危険な行為でした。

1972年7月、國雄さんは教育会の理事長に任命されました。
12月には教育会の推薦で国民大会代表(国会議員)に立候補するとトップ当選となりました。
その後、教育会理事長と国民大会代表とも14年間勤め上げます。
國雄さんは教育事業、教育改革を自らの使命として取り組みますが、常に念頭にあったのは日本時代に培った「大和魂」でした。

ある時、教科書会社が國雄さんに「自分の会社の教科書を使って欲しい」と賄賂を持ってきたことがありました。日本統治時代の台湾ではこうした賄賂はありませんでしたが、
戦後は支那大陸の賄賂文化が持ち込まれて台湾中で起きていました。
「私は日本教育で、それも九州の久留米で勉強した九州男児だ。こんなものを受け取れるか」
と言って、國雄さんは賄賂を突き返しました。
國雄さんの世代の台湾人にとって日本の教育を受けたというのは一つの自慢です。
お金は無くとも、清く正しく生きていくこと。
それは日本統治時代に受けた「日本教育のお陰だ」と國雄さんは言います。
・・・・・・(つづく)


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