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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

456金木犀:2012/05/27(日) 06:21:41 ID:.7TkztOk
つづき
 ただに七生のみならず

 湊川建碑によって、正成の高い精神性を称えることは、いわば「公認」のものとなった。以後、心ある学者・思想家で正成を称えない者はいない・・・といってよいほどの思想状況となる。むろん、「ひねくれ者」は、いつの世にもいる。正成に対して批判的な言辞を弄する者も、ないではなかったが、それらの言辞は、ついに大勢にはならなかった。

 近世の尊王思想を代表する三つの学派がある。崎門学、水戸学、国学(皇学)であるが、いずれの学派においても、正成は常に敬仰の対象でありつづけた。

 知識人のみではない。正成は庶民のヒーローでもあった。浄瑠璃、歌舞伎、講談などを通じて、庶民は正成の高い精神性を敬仰しつづけた。換言すれば、正成の高い精神性を理解しうるという点で、わが国の国民性も、また高い精神性をもっていた、ということになろう。

 幕末のころ、京都の祇園の芸妓たちは、長州の勤皇の志士たちの活動を、こう評していたそうである。「長州様は正成をなさるそうな」。その「長州様」を「正成をなさる」ものへと激変させた人物が、言わずと知れた吉田松陰である。松陰には「七生説」という、歴史的な名文がある。

 「七生説」には、こう記されている。「楠公兄弟は、ただに七生のみならず、初めより、いまだかつて死せざるなり。・・・何ぞ独り七たびのみならんや」。明治維新の大業とは、このように庶民から志士にいたる、広範な正成敬仰の念を基層として、成就したのである。それにしても、このように幾百年をかけてよみがえった「楠公精神」の歴史を回顧する時、人は深い感慨の念をいだかざるをえまい。

 「棺を蓋いて事定まる」(『普書』)という言葉がある。しかし、偉大な歴史上の人物の評価は、「棺を蓋いても、なお事定まらない」ことの方が多い。その後の近代史上においても、正成の評価は、さらに幾度もの変転を繰り返して今日にいたっている(この点については拙著『夜の神々』〔平成17年・慧文社〕を参照のこと)。

 正成を仰いで生きた維新の英雄・西郷隆盛の晩年の言葉がある。「道を行ふ者は、天下こぞって毀るも足らざるとせず、天下こぞって褒めるも足るれりとせざるは、自ら信ずるの厚きがゆえなり」(『西郷南洲遺訓』)。文意はこうである。「天下の人々が皆、謗ろうと不満には思わず、逆に人々が皆、褒めようと調子には乗らない。それは自ら強く信じるところがあるからである」。

 正成も神界にあって、おそらくそのような心境で、自らに対する世の評価の転換を「からからと打ち笑うて」見守ってきたのであろうし、そしてこれからも、また正成は「世のゆくすえ」を、そのような心境で見守りつづけてくれるにちがいない。


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