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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

426復興G:2012/05/02(水) 23:55:44 ID:ojEbkDH2

<つづきです>
『生命の實相』第31巻戯曲篇の「耶蘇伝」より

ユダ――ちかごろのわれわれの団体は迷信の巣窟だよ。まったく鼻持ちがならない。
ペテロ――(なぐろうとする)この悪魔奴!
イエス――(這入って来る、静かに制する)悪魔も主の使いだ。すべてのものと和解するのがわたしの教えだ。
ペテロ――だってこいつは?
イエス――こいつではない。神の子だ。
ペテロ――いいえ神の子ではありません。悪魔です。
イエス――(制する)悪魔も神の子だよ。神様の世界のほかに何もない。まあ皆ここへ坐れ。

   ☆  ☆  ☆

イエス――わたしはユダの代贖になり、そしてすべての人の代贖になろうと決心した。わたしはもう、この生命を捨てようと思って決心したのだ。さあ、ユダ、遠慮せずにわたしの席に坐れ。ぐずぐずしている時ではない。今にも兵隊が来てお前を捕えに来るかもしれないから、さあ、お前はわたしの席に坐って罪なき者の顔をしているのだ。
ユダ――(イエスの席につく)先生申しわけがありません。

   ☆  ☆  ☆

イエス――磔刑は人間を殺すことができない。十字架に釘けられても死なない者が人間なのだ。
ユダ――先生、先生は本当に十字架に釘けられても死なないですか。それなら、身代わりになってもらってもよいけど……

   ☆  ☆  ☆

イエス――わたしは極力、ユダの身代わりになろうとした。そしたらかえってユダを捕えさせることになってしまった。
ペテロ――ユダは極力、先生に罪を背負うてもらおうと思っていたので、かえってみずから捕えられることになったのです。
ヨハネ――生命を得んとする者は、生命を失い、生命を捨つるものはかえって生命を得ると先生はおっしゃいました。

   ☆  ☆  ☆

イエス――おお、お前はマグダラのマリア?
マリア――おお、イエス様!……あなたは蘇生りになりました。(合掌する)
イエス――(声を制する)シーッ! わたしは初めから死なない者なのだ。
 (イエスの遍身より光明輝く。番卒目覚める)
番卒二人――イエス様は本当に蘇生り給うたのだ。
 (ユダを除く十一弟子たち入り来たる)
弟子たち――あそこに先生がいらっしゃる。先生の全身から光明が射している。
(一同、跪いて合掌する。静かに幕)
      (大団円)

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

――『ユダの福音書』から思い浮かんで拝読しなおした『生命の實相』第31巻戯曲篇の「耶蘇伝」、非常に感銘深く拝読させていただきました。中でも、
「磔刑は人間を殺すことができない。十字架に釘けられても死なない者が人間なのだ。」というイエスの言葉が、特に印象に残りました。
これは、『ユダの福音書』よりも桁違いに面白い、谷口雅春先生の創作劇であると感じました。

ありがとうございました。
感謝 合掌 拝


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