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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2
361
:
金木犀
:2012/04/28(土) 13:26:35 ID:fLEJ35eI
志恩様
日本武尊は、天皇に逆らうものを撃つために最初は西征されて
帰って来られたところなので、今度は東へ行けと言われた時に、
自分は西征で疲れているため、兄の大碓尊をやってくれと言われましたが、
この兄の尊はこれを聞いて、草の中に逃げて出て来られないので、
天皇は、この兄の尊が臆病に見えたので、欲せぬものを遣わしはせぬと、
この兄尊を美濃国の国造とされました。
日本武尊は、雄叫びして、「臣(尊自身のこと)労(いたわ)しといえども、
ひたぶるに其の乱を平(ことむ)けむ」と言われて、東夷を打つための旅にでられます。
此の時、天皇は、尊に「汝は形は我が子のように見えても、非常に強く、かならず勝つ、
そしてからだも大きく、容姿端麗であり、実は神人である」と言われ、
「この天下は汝の天下であり、この位は汝の位である」とおっしゃっています。そして、
「願わくば、深く謀(はか)り遠く慮(はか)りて、・・・・・・示すに威を以てし、懐(なつ)くるに
徳を以ってし、兵甲(つわもの)煩さずして自らに臣隷(もうしたが)わしめよ。・・・・・・」
と言われました。このお言葉、なんか神武天皇のお言葉を連想しますね。
こうして日本武尊は旅立たれますが、旅の途中で日本武尊は急病の如くなって
亡くなられますが、これはもっと後日のことで、
この弟橘媛のお話は、この始めの頃の話で、船で行かれる時に、海が荒れ、その海を
鎮めるために弟橘姫が、海に身を投げられたのです。尊には大事な使命があるので、
尊の使命を共有する気持ちでお伴しておられた媛が、尊に代って、入水されたものです。
だから、このお話では、亡くなられたのは弟橘姫であり、日本武尊ではありません。
そしてこの和歌は、弟橘姫の辞世の一首であり同時に相聞の歌です。
もしかして、勘違いなさっておられるかもと思いました。
日本武尊は、天皇からこの位は汝の位であると
云うお言葉を給わられているので、皇太子の地位ということで、
安田氏の著の『戴冠詩人の御一人者』というのは
天皇になられる前に亡くなられはしましたが、日本武尊のことです。
和歌の才能に恵まれ、心を打つ和歌を詠まれているので、
安田氏は、日本武尊こそ和歌の第一人者と思われたのと、わが国の神人合一の
最後の物語のように思われたようです。
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