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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

353金木犀:2012/04/28(土) 10:16:03 ID:fLEJ35eI
神の子の皆様へ

ところで、この弟橘媛に関して、その和歌を保田與重郎氏は
その著『戴冠詩人の御一人者』のなかで次のように書いておられます。

弟橘媛は穂積氏忍山宿禰の女(むすめ)であったが、此の時王船(みふね)が波に漂蕩するさまを見て、日本武尊の征旅の犠牲となることを決心された。即ち荒れる波の上に、萱畳八重、皮畳八重、絁(きぬ)畳八重をしきその中央へ下りられたので、暴浪は忽ち止んだ。その時の后の歌はれた御歌

さねさし、相模の小野に、燃ゆる火の、火中(火中)に立ちて、問ひし君はも、

「王の命を贖ひて海に入らむ」とあるやうに、それが記の方では「妾(あれ)御子に易(かは)りて海に入りなむ。御子はまけの政遂げて、覆奏(かへりごと)まをしたまうふべし」とあるやうに、この歌は犠牲の歓喜の中で最も美しかった古の時期の昂揚を歌ひあげてゐる。そしてそういふ場合といふ要素を超越して、独立して美事な相聞の歌である。云ふべき気持ちは何一つ露骨に語らず諷することさへできぬかそけさと、ただ場所を歌ふ繊細で知的なみやび心は、この古い上代の女性によってすでに巧みに描かれてゐる。かういふ美事な、心情を自虐し得た歌心は、この拒絶のきびしさは、一般に上代人の精神文化的な卓越さによるものである。媛の投身を記紀以上に思ひ改めることはここも亦はばかりあれば語らぬばかりであるが、ただこの美しい恋愛歌を、今日巷間に流布する流行歌的詩とくらべて清涼の美を感じるがよい。七日ののちに媛の御櫛が海辺に流れついたのでそこに御陵を作った。

正仮名遣いのため、読みにくいとは思いますが、
この媛の辞世の句は同時に相聞歌(恋愛歌)となっていますが、
この相聞歌は、恋愛的な心情は一切述べずに、
ただ過ぎし日にあった出来事の場所と
その時に日本武尊が媛にお気遣いの言葉をかけて下さった
という事実を述べているのみです。

それでも、その心情が強く伝わってくるような相聞歌です。
その露骨に言わずしてなお思いを伝える見事さを
安田氏は上代人の精神的文化的な卓越さによるものであると
おっしゃっているのです。

記紀の文章の美しさ、そして、その中に現れる和歌の卓越さ、
これらを学ばずには、もったいないのではないでしょうか。


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