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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

2743曳馬野:2015/10/09(金) 06:18:08 ID:y7R7X4O2

3205 :トキ :2015/10/09(金) 01:09:10 ID:DxPu/lj2     全ての人間を”神の子″として拝むこと


あなたが”神の子″であるだけではなく、すべての人間が”神の子″であり、わたしたちと兄弟姉 妹であるのであるから、わたしたちはいかなる人間をも”神の子″として礼拝し、全ての人間を祝福してあげなければならないのである。人を軽蔑してはならない。

どんな不完全な状態がその人に現在 顧われておろうとも、その顕われだけを見て、その人間を根本的に蔑視するようなことがあってはな らないのである。

【【顕われのみを見ず、実相の完全さを見つめ、観じ、祝福することを継続するなら ば、実相の完全さが、必ずやがて顕われて来るに相違ないのである。】】


この言葉は耳触りが良くても、実現不可能であることを雅春先生、清超先生自ら証明しているのではありませんか?

トキさん自身雅宣総裁の実相が現れてはいないというし、本流派もどうしようもない総裁だという。であるならば雅春先生は、孫がね〜、と云い孫の不完全を認識し、死ぬまで孫の実相を観、祝福していたのでしょう。また清超先生も恵美子先生も我が子の実相を信じ見つめ祝福していたからこそ、何も言わずに逝かれ、本流派が云うがごとき現実があるとしても何も言わないのでしょう。

本流派の、総裁は駄目だの大合唱は、この真理は30年40年祈ったところで実相は顕れないのに、気分を高揚させるだけのものと証明しているのではないでしょうか?真理が正しければ雅春先生、清超先生恵美子先生が実践したのだから実相が現れているということになります。どちらでしょう。


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