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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

2718志恩:2015/10/05(月) 03:58:46 ID:6hRUvSRg
>>2715 :曳馬野 さん
>>終戦前に戦争終結について意見した人が山本玄峰老師です。
戦後になって後出しの理屈をいくら述べても駄目です。今の軍隊は皇軍でないと吉田講師と内緒話をしている程度では、もっと酷い日本になっていたことでしょう。
こんなところにも本流派には納得できないのです。<<
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調べさせていただきました「鈴木貫太郎氏 と 山本玄峰老師 との戦争終結についての感動的な逸話」のこと

⚫️鈴木貫太郎氏は、昭和天皇の 侍従長 をされていましたが、
昭和天皇からの 信任が非常に厚く、天皇の強力な勧めで、1945年4月7日に、内閣総理大臣の座につかれました。

終戦の年の玉音放送があったのは、その年の 1945(昭和20)年8月15日、
 鈴木貫太郎氏は、当時 「77歳」(かぞえで78歳)。 

鈴木氏は、敬神の念 の 大変深い 人だったそうです。

で、鈴木氏が相談したというお相手の 
⚫️臨済宗・山本玄峰老師は、当時、「79歳」(かぞえで80歳)。

つまり,約 80歳 同士が、戦争終結についての やりとりを されたわけです。。

山本老師は 当時から、すでに著名な 高僧 で おられまして、
戦前戦後に 亘る 政財界要人 の心の師、影の指南役 として史上に不朽の地位を占めていました。

曵馬野さんが先に転記された通り
〃山本玄峰老師は、終戦勅語の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・・」の文句を授けた禅宗の高僧として知られており、 
戦後の「象徴天皇制」の生みの親とも云われており、全体としての活動軌跡は、「白隠禅師の再来、昭和最大の禅僧」と称されているそうですね。〃
__________________________________________
⚫️では、谷口雅春先生はおいくつでいらしたかといいますと、
当時、52歳でいらっしゃいました。 1930年に、自費出版で「生長の家」誌を出されて、まだ15年しか経っていない時代です。

片や、山本老師は、当時、80歳 にもなる年季の入った高僧で、世間にも名を轟かせている老師で、鈴木総理も約80歳でしたし、
それをですよ、
向こうからみたら、ご自分より、30歳も 年下の まだ名もあまり知られていなかった人間に、鈴木氏が相談するわけないじゃないですか。

戦争に負けている状況で、このまま戦争を続けたほうがいいか、やめたほうがいいかと、相談されれば、谷口雅春先生だって、
ちゃんと適切な回答をされたと思います。

同じ民族である日本人が他国と戦うんですから、皇軍だから、がんばれ,と、当時の状況では、当然のように だれだって、日本人なら応援するでしょう。
国民には、詳しいことについては、マスコミは一切情報を流さない時代だったのです。ですから、応援したって、しかたのなかったことじゃ、ないんですか?

終戦後になってから、じわじわ じわじわと、少しだけですが、GHQに占領されてしまった左翼に牛耳られたマスコミが、
偏った情報を 国民に晒し始めましたけれど。

その、左翼思想に日本全土が、真っ赤に染められた日本の国土を、谷口雅春先生は、日本人として嘆かれ憂いて、
本来の日本人らしい精神を取り戻したいという想いから、
 愛国の思想の復活のため、365日、1日の休みもとられず、雅春先生は、生長の家の教えをひろめることに心血を注がれておられました。

日本を愛する行為は、山本玄峰老師 も すばらしい愛国者の老師でいらしたけれど、谷口雅春先生は、別の角度から 推進されていたのですから、
決して、山本老師の愛国の想いと行為に、谷口雅春先生は ひけをとらないのではないのではないでしょうか!

自分の国を愛してこそ、他国も自国と同様に愛せるのだと思います。
本流は、どうとかって、谷口雅春先生のことをおっしゃりたいんでしょ? いちいち、卑下されて、変です。


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