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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2
269
:
うのはな
:2012/04/18(水) 16:41:58 ID:El6gIMAw
終戦後、伊勢神宮が一宗教法人になった経緯
一九四一年(昭和十六)の真珠湾攻撃に端を発して日米が開戦、太平洋戦争に突入すると、
神道、仏教、キリスト教、イスラム教が「興亜宗教同盟」を結成し、戦時体制を宗教面から支えることになる。
このとき、同盟の総裁に就任した陸軍大尉、林銑十郎は宣言している。
「反皇道思想を掃滅して皇道文化を創立し、以って聖紀の創造を期す」
だが、一九四二年(昭和十七)六月五日からの中部太平洋での日米によるミッドウェー海戦を機に戦況は徐々に悪化していった。
その後、日本は反撃することなく各地で玉砕をくり返し、ついに連合国が提案したポツダム宣言を受諾する。
一九四五年(昭和二十)の十二月十五日の正午、昭和天皇は玉音放送で終戦を宣言、維新以後、堂々と築いてきた大日本帝国は崩壊した。
その四ヶ月後の一九四五年(昭和二十)の十二月十五日、連合国軍総司令部(GHQ)はいわゆる「神道指令」を発し、天皇制による支配の思想的な
支柱となった国家神道の廃絶を命じた。GHQが発した神道指令にはこう記されている。
「アラユル公ノ機関ニシテ、ソノ主要ナル機能ガ、神道ノ調査研究及ビ弘布ニアルカ、或ハ神官ノ養成ニアルモノハ、之ヲ廃止シ、ソノ物的所有物ハ他ニ
転用スルコト」
GHQ は国家から宗教的な要素をすべて分離するというものだった。
維新後、政府は国民に対して天皇への絶対的な忠誠を求め、天皇と国民と国土との一体感。神聖感を強調してきたが、GHQはそれを「軍国主義的、過激な国家主義的イデオロギー」として否定し、
国家神道に関与した機関の廃絶を要求したのである。
さらにGHQは天皇の神聖性を否定させようと考える。天皇の神聖性が国民の求心力を高め、軍国主義者や超国家主義者のイデオロギーを支え、これからの民主主義の
障害になると考えたのである。神道指令が発せられた翌四六年(昭和二十一)の元旦、GHQは天皇に詔書を出させる。
これが天皇の神聖性を否定したいわゆる「人間宣言」だ。それはGHQの要求だったが、天皇自身もそれに同意し、みずからの神聖性を否定したのだった。
天皇と日本古来の八百万の神々との関係や、神々と政治の関係は抜本的に変化した。その影響は当然、天皇とかかわりの深い式年遷宮の次、第五十九回の式年遷宮は一九四九年(昭和二十四)の
予定だったが、GHQが神道指令を発する三日間、一九四五年(昭和二十)の十二月十二日に式年遷宮への準備の停止が決まった。
天皇の神聖性が国民の求心力を高め、軍国主義者や超国家主義者のイデオロギーを支えたとされた以上、国家意識の高揚をはかり、国民統合の象徴とされた式年遷宮は中断を余儀なくされたのである。
戦後、伊勢神宮はあらたな宗教法人法によって一宗教法人となり、中断から二年後の一九四七年(昭和二十二)、宗教法人・伊勢神宮が民間からの奉賛、つまり寄付を募って式年遷宮の準備をはじめ、
その六年後に第五十九回の式年遷宮がおこなわれている。国家の関与はなく、財政的な援助も断たれ、伊勢神宮の重要な行事として復活したのである。
冒頭に私は式年遷宮を目撃したと書いたが、それは一九七三年(昭和四十八)におこなわれた戦後二回目、民間の奉賛による第六十回式年遷宮のための風景である。
『謎とき伊勢神宮』 井上宏生 著
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