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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

2687純粋教理批判:2015/09/26(土) 18:51:57 ID:DD4jWV6M
神一元の世界では存在するのは神だけですから「神は人間に自由なる意思をあたえた」は「神は神に自由なる意思をあたえた」となります。たしかに違和感のある表現です。

生長の家の教理が、実相と現象、完全と不完全、霊と物質といった二項対立でできているということはすでに述べました。天地創造時の出来事というような究極の出来事を説明しようとするとき一元論は二項対立をもちいることができなくなる、という事態を上記の違和感は示しているものとおもわれます。

一元論に二項対立はほんらいない、ということです。神の一項しかないということです。神の一項しかないにもかかわらず二項対立を立てなければ真理を説明できない。このことからおそらくは矛盾や疑念が生じます。

人間というものは、実相という意味でも現象という意味でもほんらいないものなのでしょう。ないにもかかわらず、神にたいして人間という項を立てなければ真理を説明できない。それでやむなく人間という項を立ててしまうことになるのでしょう。

人間という項を立てたからには人間とは何かを説明しなければならなくなる。天地創造がいかにしてなされたかを説明しなければならなくなる。「神が人間に完全なる自由をあたえた」といわなければならなくなる。

一元論の真理とは「神が神を神した」これがすべてなのでしょう。二項対立にまどわされることなく雅春先生の教えが理解できれば問題などおこるはずがありません。真説と虚説の二項対立をたてるがごときやり方は、雅春先生の教えとは何の関係もないということです。

これ以上の長居は無用です。ではこれにて。


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