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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

260うのはな:2012/04/17(火) 21:53:55 ID:El6gIMAw

 伊勢に行きたい伊勢路が見たい
  せめて一生に一度でも
  わしが国さはお伊勢に遠い
  お伊勢恋しや 参りたや   (伊勢音頭)

 遠い先祖の昔、お伊勢参りの旅は、憧れと敬慕にみちていました。
 そこには、神の恵みを願うと共に、伊勢の文化にふれたいという思いが
 こめられていたのです。

 けれども、交通の発達していなかった時代、誰もが参宮できるわけではありません。
 そこで、伊勢講がつくられました。有志が集まり、旅費を分担して代表を伊勢に送ったのです。
 伊勢の御師といわれる神職たちは、参宮者のために宿や食事を提供、参宮の案内、神楽を行ない、
 神官と民衆を結びつけました。

 伊勢から全国の御札や暦、海産物などを配ったのも御師たちです。そうした活動が、「おかげ参り」の
 流行につながったのです。
 神都といわれる伊勢では、神具の他に玩具もつくられ、「おみやげ」とされました。「みやげ」には、
 「土産」の他に「宮笥」の文字を当てます。笥とは、神聖な器や物を意味します。
 お宮から下された尊いもの、神都のかおりを伝える具として「おみやげ」も、神と多くの人をつないできたのです。
 江戸時代の宝永二年(一七〇五)には、五十日間で三百六十二万人が参拝したと、本居宣長の『玉勝間』にあります。
 織田信長に庇護された宣教師のフロイスは、「この神のもとに集まる者の非常に多いことは信ずべからざる程」であり、
 「伊勢に行かない者は人間の数に加えられぬと思っているかのようである」と母国ポルトガルへの手紙に記しています。

 こうした背景には、信長による関所撤廃、秀吉や家康の天下統一によって旅が安全安易になったこともあります。
 しかし、その根底にあるのは、神々の「おかげ」をいただいき生かされていることに感謝する、深い信仰の念です。
 瑞穂の国では、柳田国男がいうように「幸福とはよくお米が出来る」ことでした。
 稲に関わる伊勢の神々が、「おかげ参り」の対象になったのは当然のことです。
 多くの人が集まる伊勢では、農業技術だけでなく様々な情報を得ることも可能でした。

つづく


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