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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

256ハマナス:2012/04/17(火) 10:25:06 ID:u5mC.eb2
神の子のみなさま
ももんが様
 
おはようございます。
お礼が遅くなりましたが、先日は素晴らしい日本の風景の動画《感謝篇・日本篇》の
プレゼントをありがとうございました。 心が和み癒されました。感謝致します。
本当に、“日本の心は、日本の生命は、自然の中で、生かされている。”のですね。

『光明道中記』 P.106より一部抜粋させて頂きます。    

燦爛輝く桜花 
 「観る世界は観られる世界である。能観(みるもの)の中に所観(みられる)世界が
あり、所観の世界の中に観る人の心がある。観る者と観られるものとは本来一体である
のである。これを吾々は心の影と言っている。
日本に美しい桜の花が多いのも、日本人の心が桜の花のように美しく潔(きよ)いからであり、
執拗でなく淡白であるからである。・・・・・・

観る世界が観られる世界であると云う真理が本当に解るならば、日本の国の相、日本の樹木の相、
日本の風光の相、すべて、日本人の心を現していないものはひとつもないのである。
風土が人間を感化するとも言えるが、桜も生命(いのち)であり、心の表現であり、人間も生命で
あり、心の表現であるから、日本人が桜を感化し、桜が日本人を感化し、日本人の中に桜があり、
桜の中に日本人があるのである。
差し昇る朝に映える桜花を鑑賞する日本人の心には、差し昇る朝に映える桜花の心があるのである。」

また、『生命の實相』第37巻にも桜に関するご文章がありましたので、謹写いたします。

            四 月 十 七 日

見えない間に生長する、進歩が今眼に見えなくとも生命は必ず前進しているのである。
今爛漫と咲いている桜花も、実は枯木のごとく見えていた冬に日にその「花の美」を貯えていた
のである。

沈滞期に本当に沈滞してしまったと思って、悲観してその成長を続けない桜の木は枯れて
しまうのである。人間もまたかくのごときものである。
 
 沈滞期に屈せざる心の明るさと、努力を継続せしむる意思の力と、その意志の力を持続
せしむる感激の押し出す力とを失わない者はついに大成するのである。
 事業を成るのも、道を成(じょう)ずるのも同じことである。
 「海も波のごとく動揺するものは風にさらわれて打ち上げられん。」

感謝合掌


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