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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

2406トキ:2014/09/12(金) 19:40:32 ID:Fkc.Ww22
 少し前に山本玄峰老師の事が話題になった事もあり、臨済宗のご住職を紹介してもらい、
交流をしております。生長の家の人なら、無門関の話など、たいへん興味深いものがあり
勉強になります。

 臨済宗の禅の教えは深く、また、立派なものですが、いろいろとお話をうかがうと、
やはり禅のあり方もいろいろと課題があると感じます。それについては、以下の話が
参考になると感じます。

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http://tetsugen.jimdo.com/井上義衍老師の生涯/



臨済宗に明眼の宗師(悟りを開いた指導者)がいなくなった理由:1700則と言われる公案体系(法身・機関・言詮・難透・向上・五位・十重禁を順々に進めていく 具体的には無門関の公案を一則ずつやり、次に碧巌録を一則ずつやりして、10年位かかって透過して行く)を進めることに終始して、悟りを得るための工夫などしない

坐禅の仕方も本当には知らない・教わらないから(数息観や無字の工夫は形式的に教えられているが、公案を進め始めるとその工夫では、坐禅と独参とが違う内容になるので、放擲してしまう)

10年後まだ悟りを少しも開いていないと気づいても、年齢も10歳とっており、もう道を求める気力はなくなっており、内心では「こんなもんじゃないか 今どき大悟した人などどこにもいないのだからしようがない」と他に正師を探す努力もせず、道を諦める
特に臨済宗の僧侶・修行僧(雲水うんすい)は曹洞宗の僧侶に対してなぜか優越感を持っているので、臨済宗に明眼の師がいないなら、曹洞宗になんかいるわけがないと思い込んでいるので、臨済宗に正師がいなければ、日本のどこにも正師がいなと思ってしまう(たとえばこのサイトを読んでいる臨済宗の僧侶はかなり懐疑的に読んでいる)
白隠禅師の公案禅というけれど、白隠禅師は公案は今のように用いていないことはご存知なのであろうか? 公案をあまり用いない白隠禅師の頃は見性者は続出している。(公案体系を作ったのは白隠禅師の弟子の東嶺円慈和尚)
曹洞宗は面壁だが、臨済宗は対座(向い合って坐禅する)を金科玉条のように言っているが、臨済宗でも江戸時代のある時期までは面壁であった 
対座にして禅定力がついた、見性したという人が増えた証拠でもあるのか?
(臨済宗の広い道場では対座していても向いの人達は視線を上げない限り見えないが、普通の寺院で対座すると向いが完全に視界に入ることが多い)
対座すると気合が入るというが、対座しなければ修行する気持ちが起こらないなら最初からしなければ良いではないかと思う

外では、公案体系を終えた人は、「せっかく他の人より長年道場にいたのだし報われないと」と思い、以後は師家・師家分上・老師と言って他の和尚とは区別して、尊敬され、特別待遇を受け名誉を得、一生経済的にも良い生活ができる。

特に臨済宗は「老師」は和尚仲間からも参禅者からも檀家や信者からも大いに尊敬される。
公案も知的に詳しく知っているから、老師と言われる僧達は、それなりの話し、在家の人にとって難しい話はできる。(これらの人々は決して「わたしにできたのだから誰にもできる」とは言わない むしろ、在家の参禅者に「我々はとても老師のような修行はできません」と思わせるのがうまい)
よって、老師は人々の尊敬を受け、自分が老師扱いされることに甘んじてしまう 自分が未だ道半ばであることはすっかり忘却している

そういう人の中から次の専門道場の指導者が選ばれるのであるから、次世代も同じ轍を踏むことになる(臨済宗の場合、14ある本山の管長も師家・師家分上から選挙で選ばれる)

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(つづく)


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