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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

1640a hope:2014/04/26(土) 22:58:02 ID:cEpBaIdo
聖典引用板>2826 縹さま

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「 月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ 」

浄土宗の開祖として有名な法然の和歌です。
「月影」 、月の光とは、実は阿弥陀如来の光明、救済のこと。

“月の光はこの世をあまねく照らして、どんな辺鄙な里にも
届くけれど、それを眺める人の心が澄んでいるからこそ
その美しさが心に宿るんですよ”

心を澄ませる、つまり、阿弥陀の光に心を向けて、「南無
阿弥陀仏」 と念仏を一心に唱えてこそ、阿弥陀如来の光
(仏の救い) は人の心に “住む” んですよ。
「すむ」 = 澄む + 住むのダブルミーニング、掛詞です。
―――――――


今朝、この縹さまの投稿を拝見してから神想観をしましたら、

「ただひかり、ひかりの中に我れ澄めり、全てみひかり我もみひかり。」

という祈りの言葉が浮かんできました。

何年前かの「光の言葉」の日めくりにあったのだと思うのですが、この「澄めり」というのが、
とても心に響いて、手帳に書き込んで時々祈っていました。

この祈りの言葉も、「すむ」 = 澄む + 住むのダブルミーニングですよね!


そして、もう一つ浮かんできたことがあるのですが、それは・・・

月はその物体自体が光を放っているのではなくて、太陽の光を反射してその影がみえているだけである。
わたしたち現象(肉体)人間も神から放射された光を受けて反射してその影が見えているだけである。

現象の月と現象の人間は同じしくみで現象世界に光を放っているんだ。

だから、現象の月が雲や霞が消えれば美しく輝くように、
わたしたち現象人間も心の曇りを消せば神さまの光と同じように輝くことができるのだ。

そんなことが心に浮かんできました。。

これは小さなわたしの悟りですが、なんか、今朝の神想観はすご〜く充実した気持ちになれました。

縹さまが、素晴らしい法然の和歌を紹介して下さったおかげでです。

心より感謝します。 合掌。


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