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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

15091508 つづき:2013/12/20(金) 20:31:19 ID:3x4g7HcQ
 ご病床の先生は、少しおやつれの気配は拝されるものの、お顔色も唇の色も平常と変わりなく、そのときにはご病状の急変が起ることは全く予想されない思いで、私は静かにご病室の外に出ました。
ご病床にあらせられる先生のご慈愛あふるるご温容には、平生と些かの変りもなかったことが私の心にはっきりと灼きつけられています。
 このようにして私がお目にかかることができた日の翌々日の朝七時五十三分、雅春先生は従容としてご天寿を全うされご昇天あそばされたのでした。私は、偶然にこの最後の先生とのお別れとなった日の
勿体ない貴重な思い出を、生涯自分の胸裡に刻んで大切にさせて頂きます。

 私は、雅春先生の身に余る勿体ない深い温かいご愛念の中に抱かれて今日まで生きてくることができました。ご生前のなつかしい思い出の数々は到底筆紙に尽し切れない感謝と感激と感銘の連続でした。
先生のおかげで私の人生は此の上もなく輝かしい充実した人生となりました。
 僭越ではありますが、私の拝する限り、雅春先生がそのご生涯を通じて凡ての人々に垂れ給うたご愛念は、まことに限りも無く偉大であり深遠であり、人々の魂に深く染み透り、人々の生命を真に蘇らせて下さいました。
「神は愛なり」という真理のことばは、とりもなおさず「谷口雅春先生は神なり」という永遠不滅の事実を啓示しているものと私は信じます。
谷口雅春先生は生死を超越され人類への無限の愛の象徴として無量寿如来として、現在から未来に向け永遠に私たちを導き給うことを固く信じております。

 ご昇天によって、もはや二度と先生のお姿を身近に仰ぐことのできなくなったことは、まことに涯しもない悲しみと寂しさに身も心も打ちひしがれる思いでありますが、それと同時に私は、この六月十八日の葬場祭の終りに臨み、
輝子先生が喪主としてごあいさつされましたお言葉の一つ一つが胸に染み、特に次のお言葉は私にとって深いお諭しでありました。
「・・・・・私はね、あれで一番よい最後をなさった。ほんとうに神様に戴いた限りを生き切って、あれでもう充分この世の使命を果して下さったという感じしか今ございませんので唯々合掌するばかりでございます。どうぞ皆さんも先生の尊い御教えを、
お亡くなりになっても忘れないで下さいませ。・・・・・ほんとうにこの世に何の心残りもなくお亡くなりになったのだと思います。どうぞ皆さんも泣かないでお見送りして下さいませ。ありがとうございます。」と。
 私は、輝子先生の此の崇高な御心に従い、雅春先生のご遺訓を更に一そう深く肝に銘ずるよう努めて参る所存であります。

(宮澤次郎の稿、終了)
『心のかけはし』誌 平成18年


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