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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

1504a hope:2013/12/15(日) 12:25:38 ID:/9IAdiFk

みなさま こんにちは。

12月の週末はクリスマス関係の行事が多くて忙しいく、なかなか書き込みできずにいます。
web誌友会板では、復興Gさまと曳馬野さま、他の方々が「悟り」についてお話をされているようですが、
わたし自身は、以前お話しましたが20代前半のころに幽体離脱した時に、
初めての「悟り」といえるような経験をしたような気がしています。

その後の人生でも、何度も苦境のような状態に陥るのですが、苦しみや悩みや絶望感のなかでも、
それでも人生をあきらめないでがんばっていると、
必ず人生がひらけるような出会い(仕事、主人、気功、「生命の實相」などとの聖典との出会い等)があり、
なんどもの「悟り」と言えるような心境の変化を経験してきたような気がしています。

「悟り」とは個人の絶対的体験ですから、どんな「コトバ」で言いあらわしてみても
それと同質の「悟り」の経験をしたことのない人の心には響かないのではないかと思っていたので、
今まで自分のそういう経験をあまり人に話したことはありませんでした。

ですが、聖典「生命の實相」の「オコトバ」は違うと感じています。
なぜなら、全巻を通して拝読してみるとわかりますが、その「オコトバ」は、さまざまなレベルから、
さまざまな角度から、さまざまな波動で自分の内面のあらゆる部分に響いてくるからです。
だから、全巻を通して拝読すれば、どんな人の心にも必ず響く部分があると思うのです。

そして誰もが、わたしが 聖典引用板>2700 に謹写させていただいた、


―――――――――――――――――


頭注版 生命の實相 第35巻 下化衆生篇 p71 (日本教文社)

『生命の實相』を読んでいてある瞬間に達すれば必ず真理の光がたましいの中へ射し込んでくるのである。
その光は太陽の光よりもなお明るい光である。
自分の身体(からだ)が透明になったような感じがする。
自己の生命が無限生命の光線の中につつまれる。
その無限の光線の中に溶け込みつつ燦然として輝いている生き通しの生命こそわが生命であることが悟られる。
これこそ自分の本当の生命であったのだ――今生きつつある地上の生命の小さきことよ。
それはただ自分の本当の生命の輝きが、迷いの雲間を洩れて、地上に記(しる)した小さな光の点々にすぎなかったのだ。
迷いの雲間は裂ける。
本当の自分は輝き出でる。
地上の晴天の日の太陽が照らすごとく、本当の自分は無限の輝きを放って地上の生活を照らすのである。

――――――――――――――――――


というような、すばらしい「悟り」の状態をかならず体験できるようになっていると思うのです。

「生命の實相」は本当に、すごい聖典だと感じています。

ですから、その神聖性を汚したらいけないと強く思います。
それこそ、「聖霊をけがす罪」となってしまうと思うからです。

「聖霊をけがす罪」については、聖典引用板に謹写させていただきますが、
もしかしたら、谷口雅春先生がご昇天された後の「生長の家」においても、
信徒が聖典「生命の實相」の真義を誤解して、この「聖霊をけがす罪」が犯されてはいないでしょうか?

(ここでわたしのいう「生長の家」とは、教団のことでも、他の「生長の家」関係の団体さまのことでもありません。
わたしたち、「生長の家」の教えを信仰する一人一人の信徒、という意味で使わせていただきました。)


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