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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

1488「訊け」管理人:2013/11/30(土) 08:22:48 ID:???

>>1484トキさま
>>皆さま


 トキさん、>>1484御文章をありがとうございます。さて、この御文章に関連するものとして、私も以下を紹介させて、頂きます。ちなみに以下は以前、復興Gさまがご投稿くださったものです。素晴しい真理が、述べられております。それでは、どうぞ。


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『生活と人間の再建』第11章 「信仰生活の種々相」より謹写――

◇祈りの反応としての不調和

 祈りの反応として現れて来る不調和な状態の中には、時として自分自身が病気になり、時として自分の愛する家族が病気に罹ることがあるのである。そんな時に祈りの効果を疑ってはならないのである。それはむしろ祈りの効果が現れつつあるのである。

 すべて古きものの破壊は新しきものの実現の場所を造りつつあるのである。発熱の中に、発疹の中に、下痢の中に、古きものが燃焼しつくされ、排泄され、新しき組織ができつつあるのである。これは祈りの応答として、神があなたに病気を課しつつあるのではないのである。肉体は魂の「機関」であり、精神の「座」であるから、発達せる魂が、尚一そう自由なる精神をその機関を使って働かせんがために、必要なる所の改造が行われつつあるのである。それは肉体の不調和の状態の如く見えているかも知れぬけれども、それは病気でもなければ不調和でもないのである。魂の機関が、精神の座が、それによって浄められつつあるのである。祈りの応答としてのかくの如き肉体の状態の意味を吾々が本当に知ることができるならば、吾々はその肉体の状態に対して、否、その奥に動いている所の浄化作用に対して「ありがとうございます」と感謝しなければならないのである。

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 特に、前半部分が素晴しいと思うのです。「祈りの反応として現れて来る不調和な状態の中には、時として自分自身が病気になり、時として自分の愛する家族が病気に罹ることがあるのである。」とあります。祈ってるのに悪いことが起りますと、「祈りも効果がナイな〜」なんて事を呟きがちですが、「さにあらず」と云うわけですね。むしろそれは、祈りが聴かれつつある証拠とも云えそうです。なぜならつづけて、こんな御文章があるからです。それは、

 >>> そんな時に祈りの効果を疑ってはならないのである。それはむしろ祈りの効果が現れつつあるのである。(上記御文章より)<<<

 と(!)

 この御文章も、素晴しいですよね。





追伸

 教団問題にも、言えることではないでしょうか。

 私の周囲の白鳩姉さんたちも、「静かに和解を願って」おられます。でもその願いは一見すると、「なんの効果も顕わしていない」ようです。むしろ、「以前よりも悪化しているかの様子」でもありますが、「さにあらず」ではないでしょうか。いや、上記、『生活と人間の再建』第11章を論拠にすればそれら〝悪現象〟ですけれども、「それはむしろ祈りの効果が現れつつあるのである。」からです。


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