[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2
1480
:
「訊け」管理人
:2013/11/29(金) 08:53:56 ID:???
>>1479
a hopeさま
おはようございます。二日酔いですが、以下の箇所に返信してみます。さて、貴ご投稿の、
>>> つまりは、悟れば、無明(まよい)だと思っていたことも真理に変る、ということでしょうか・・・?
うーん。正しい意味はまだわかりませんが、すごいところに気が付かれましたね。 <<<
の部分ですけれども「活用」と云うのが、キーワードになると思うのです。以下に説明、致します。
さて、先日触れた(
>>1472
文)榎本先生の「高千穂での神想観」話を材料にしますけども、天孫降臨は、「雲の上から天下って来た」とあります。同先生はこれを、「雲を『活用した』の意味ではないのか」と、解釈されたのですが、これが「罪も光だ」の意味になろうかと思ってます。雲とはイコール、「迷いを象徴するもの」ですからね。
例示するならば「不便」があるからこそ、「便利」が創造されるワケです。便利が創造されたとなれば、以前の「不便」ってのは、光だったとも言えるでしょう。ですんで、「無明が真理に変る」と云うよりも、「真理そのものだった」と云うことにも、なろうかと思います。
で、次の話です。「真理そのものだった」という言い方に関してです。
さすがに無明ですが、それを「真理そのもの」とは、現象の我々には解し難い考え方です。そこで忽然と浮上したのが、あの、『甘露の法雨』にある「悟らざる真理」という文言だったのではないでしょうか・・・・・云うまでもなく、私見です。聖典にはこんな説明、ありませんので。
・・・・まあ、ざっくりまとめますけども、「無明(迷い)も真理そのもの」なんだと、思います。「活用された際」にその無明、創造の呼び水となるからです。天孫降臨が「雲を活用して行われた様に」そして、「『不便』が『便利』を創造するように」ですね。
拜
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板