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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

1480「訊け」管理人:2013/11/29(金) 08:53:56 ID:???

>>1479 a hopeさま


 おはようございます。二日酔いですが、以下の箇所に返信してみます。さて、貴ご投稿の、


>>> つまりは、悟れば、無明(まよい)だと思っていたことも真理に変る、ということでしょうか・・・?
うーん。正しい意味はまだわかりませんが、すごいところに気が付かれましたね。 <<<


 の部分ですけれども「活用」と云うのが、キーワードになると思うのです。以下に説明、致します。

 さて、先日触れた(>>1472文)榎本先生の「高千穂での神想観」話を材料にしますけども、天孫降臨は、「雲の上から天下って来た」とあります。同先生はこれを、「雲を『活用した』の意味ではないのか」と、解釈されたのですが、これが「罪も光だ」の意味になろうかと思ってます。雲とはイコール、「迷いを象徴するもの」ですからね。
 例示するならば「不便」があるからこそ、「便利」が創造されるワケです。便利が創造されたとなれば、以前の「不便」ってのは、光だったとも言えるでしょう。ですんで、「無明が真理に変る」と云うよりも、「真理そのものだった」と云うことにも、なろうかと思います。

 で、次の話です。「真理そのものだった」という言い方に関してです。

 さすがに無明ですが、それを「真理そのもの」とは、現象の我々には解し難い考え方です。そこで忽然と浮上したのが、あの、『甘露の法雨』にある「悟らざる真理」という文言だったのではないでしょうか・・・・・云うまでもなく、私見です。聖典にはこんな説明、ありませんので。


 ・・・・まあ、ざっくりまとめますけども、「無明(迷い)も真理そのもの」なんだと、思います。「活用された際」にその無明、創造の呼び水となるからです。天孫降臨が「雲を活用して行われた様に」そして、「『不便』が『便利』を創造するように」ですね。




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