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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

1106女神の部屋:2013/06/17(月) 16:24:02 ID:YzibsPco
   他人に惑わされないこと  外宮御正宮にて

 神宮を詣でると、昨今の神社ブームのせいか、その人の多さに驚きます。
内宮も外宮も、御正宮のお賽銭箱のまわりには常に人がいっぱい、手水舎にも参道にも別宮にも
人がたくさん....そこだけを見ると、ひとりで静かに浸る、という状況とは程遠いかもしれません。
ですが、人は関係ないのです。

 どんなにたくさんの人がまわりにいよう、自分の心の準備が整っていればいつでも感じることができる、
いつでもたったひとりの状況になれるのです。逆に、どんなにひとりでも、心が別のことを考えていれば、
別のところをさまよっているのと同じです。

 たとえば、あなたが神宮や神様のことを勉強し、とても謙虚な清々しい気持ちで、神宮に期待をふくらませて詣でたとき、
近くを団体の参拝者がガヤガヤと通り過ぎ、大声でおしゃべりしながらやってきたら、どう感じるでしょうか?
「邪魔された、かき乱された」と感じるかもしれません。または、「あの人たちは参拝をわかっていない」なんて思うこともあるでしょう。
でも、それも関係ないのです。そこで「乱された」という感情を選んでいるのは自分であり、まわりがうるさいことと自分の感じる力は関係ありません。
お腹が空いていたら、どんなものでもおいしく感じるように、自分の心が欲しいていれば、いつでも集中することができるのです。
もしかしたら、「まわりの環境にぶれない心」を神様がためしているのかもしれません。

 同じように、神宮の「どこに参拝したか」も関係ないと思います。
とかく、「内宮の御垣内、普通の人が入れないような奥に正式参拝したからすごい」というようなイメージを持たれがちですが、これもまったく関係なく、
どこでも同じようなエネルギーに満たされています。

 奥に参拝した人は、「そのときそこに縁があった」というだけのことで、その「縁」に上下や優劣はないのです。
もし違いが生まれるとしたら、「こんなありがたいところに参拝できるなんて、素晴らしい!」と思うことで、その人の感じ方が変わり、より強く素直に受け取ることができる、ということはあるでしょう。
という事は、結局自分次第なのです。どんなにまわりがガヤガヤしていても、「素晴らしかった」という印象を持つ人もいれば、「まわりのせいで邪魔された」と思うこともできる.....西行法師が、神宮の離れたところ
から「ありがたきもの」を感じたように、遠く離れたところからでも、思えば一瞬でつながる世界だと思うです。

 『あなたの感じる伊勢神宮』 浅見帆帆子 著


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