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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

1069うのはな:2013/06/11(火) 21:58:12 ID:LMHxrQ5g
    ゴールに向かって歩く道など「本当の道ではない」

 古くから日本人は「道」という言葉が大好きです。
武道、華道、茶道、柔道、剣道など、すべて「道」で表されます。
 そして、言うまでもなく人生も「ひとすじの道」にほかなりません。
では、その「道」とは、そもそもどういうものなのでしょうか。

 武道にしろ、華道にしろ、人生という「ひとすじの道」にしろ、私たちが歩く「道」というのは、
どこかのゴールに向っているわけではありません。勉強にしろ、仕事にしろ、「ゴール」や「成果」に
その道を歩んでいるとしたら、それは本当の道ではないと私は思います。

 たとえば、剣道を志す人が「師範になりたい」と思ったとしましょう。
もちろん、それを目標(それも一時的な目標)とするのはいいと思います。
しかし、それが剣道をする本当の目的だとしたら、その「道」は途端に色あせてしまいます。
師範となって、人から評価され、「先生、先生」ともてはやされるための道だとしたら、なんともつまらない道です。

 古の人たちが歩もうとした道とは、そんなものではありません。
強いて言うなら、自分を磨く道。「何かを得よう」とか、「評価されよう」などというところに価値があるのではなく、
あくまでも「道を歩くこと」それ自体に重きを置いていたのです。
 翻って、現代はどうでしょうか。
学問にしろ、仕事にしろ、一つの道を懸命に歩んでいる人は、たしかに大勢います。
しかし、その人たちの心のなかを覗いてみれば、どうも「評価されたい」「有名になりたい」
「ステータスを得たい」「お金を稼ぎたい」という思いが見え隠れします。
まさに「名利」を求めているのです。

 日本人が好きな「道」という言葉の持つ、本来の輝き、価値、美しさが薄れ、即物的で、軽薄なものに
なってしまっているように感じられてなりません。
 本来、道というのは、自分一人で歩くものであって、誰かと競い合うものではありません。
一本の道を歩き、極めていくには本当に辛い修行が必要ですし、苦しいことも多いでしょう。道を歩むとは
そういうものです。しかし、それは「人に勝つため」ではありません。

 あくまでも、己を磨き、己に克つためです。そのことを忘れないでください。
そして、道を極めることができたなら、その力を「人の幸せ」のために使って欲しいと思います。
道の途中は、辛く、苦しく、孤独かもしれません。しかし、あなたが歩いてきた道は、独りぼっちで
歩くための道ではなく、「あらゆる人が幸せになるために通る道です」

 そうなったとき、道を創ったあなたに、大きな幸せが訪れる。
 道を歩くとは、そういうものです。

『空海に学ぶ人生でもっとも大切にしたい42のこと』 池口恵観 著


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