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「霊界光明化研究部」板
677
:
うのはな
:2014/04/04(金) 19:16:31 ID:kjh5yx76
>>669
波動マニア〜宇宙の愛と無限の豊かさに心を開く 花音(かのん)ブログより
「アワ歌」の歌い方、唱和のしかた
『言霊アワ歌の力 石田英湾 著』より抜粋
----------------------------------
アワ歌は、いつ、どこででも、できます。
できることなら、なるべく気持ちをしずめて、こころ静かに、
一節一節を息吐きながら唱和するのがよいでしょう。
慣れるにしたがって、一音一音みなハタラキの違う神々であることを
体感できるようになります。
四十八音の言霊が、それぞれの振動(バイブレーション)作用で、
血液や体液や細胞を構成している原子に作用して活力を授け、
組織の“気”を賦活しはじめます。
朝、起床時か朝食前に2〜3遍、夕、帰宅時とか夕食前に、
家族揃って3遍、あとは随時、唱和するのがよいでしょう。
一番効果的なのは、静坐し、気持ちをしずめ心落ち着かせながら
静かに息を吐きながら、一音一音しっかり唱和する方法です。
これを半年、一年、二年と励行するうちに、生気は高められ、
宇宙の“気”と共振しあって生命のリズムは整って、
健康度は高まり、心身は爽快になります。
力まずあせらず、楽しみながら根気よく、毎日続けてみてください。
日本の風土が生んだ、日本の人々に最も適合した、生命の“気”
活性法であることを、自覚納得するでしょう。
-------------------------------------
あわの歌の響きは、細胞を悦ばせ、自分のなりたい遺伝子(DNA)が
ONになり、たくさん奇跡を呼び寄せてくれるそうです。
秀真伝には、
-----------------------------------
アワの歌 葛垣琴(かだがき)打ちて
弾き歌ふ 自ずと声も
明らかに 五臓六腑緒(ゐくらむわたを)
音声分け 二十四に通い
四十八声 これ身の内の
巡り良く 病あらねば
永らえて ・・・・
-----------------------------------
と書かれていて、
アワの歌により、四十八音の神々の言霊の霊妙な力によって
五臓六腑や魂の緒までが整い、心身の神気・霊気のめぐりが
良くなり、病にもかからなければ、長寿を得ることができる
ということです。
下記のサイトには、興味深い考察があります。
http://tierramusic.cocolog-nifty.com/tangodiary/2005/12/post_c509.html
678
:
うのはな
:2014/04/04(金) 20:54:24 ID:4EMfhrM6
私たちは皆、神様の中にいる
ここまで述べてきたように、私は普段から神、神様という言葉を口にします。
それでも神様の定義というのは万人が共通して持っているものではありませんから、それは何ですか、
どういう存在ですかと聞かれると、ちょっと困ります。
精神世界系の様々な本では、神様を「創造主」と紹介するパターンが多いと思いますが、宗教によってはその定義が
さらに多彩になり、より細分化されます。ちなみに創造主は英語でクリエーター。私たちが何気なく使うクリエーターという言葉は、
作家や著作者という意味の他に世の創造主という意味があるのです。(※神を意味する場合は筆頭のCが大文字になります)。
神様というか、創造主は「大きくて見えない存在」であると割り切って考えるといいと思うのですが、それが余計にモヤモヤする人もたくさんいるでしょう。
日本的な言葉を使用して解釈すると、私たちは神様からの分け御霊です。大いなる一つの魂から無数の小さな魂として分かれた存在(分魂)です。
要は神様が親で私たちが子ども、両者は「親子の関係」であるというわけです。
キリスト教では、ただ一人の神がいて、神の子はただ一人イエス・キリストであり、神と人間の間には契約がある、となります。
日本人的な、つまり神道の世界観(霊魂観)で言うと、私たちは皆、神様の子であると言うわけです。
要するに皆、つながっているものであり、別に契約で結ばれているわけではない、まるで親子のように結ばれている存在なのだと。
果たしてどこから始まっているのかはわかりませんが、神様が宇宙やこの世界を「作った」わけではないのだと。
神様は自信の外側に何かそういうものをこしらえたわけではなく、自身の内側にそういうものを生み出したのだ、という思想です。
従って神道的な考え方は、二元論ではなく一元論そのものです。
『日月神示の開運法則』 中矢伸一 著
689
:
うのはな
:2014/04/07(月) 16:48:01 ID:ZpF/M2zU
鎮護国家請願とは
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1227
690
:
うのはな
:2014/04/14(月) 15:15:18 ID:dKbiNjJk
それよりも先に、いま現在の物事のとらえ方・世界の見え方を徹底的に疑ってごらん。
自分がいかに物事をありのままに把握できていないかをもっと自覚してごらん。
これまで、「当たり前だ」と素通りしてきた、誤った思い込みの多さに気づいてごらん。
「知っているつもり」で世界を見るのではなく、「何もわかってなどいない」というそのことに、まず先に気づきなさい。
あらゆる真実を知った人間をめざすのではなく、人一倍何も知らないことを自覚している人間でありなさい。
逆説的に聞こえるかもしれないけど、「自分は何も知らない」と気づけば気づくほど、自然と「神」という言葉が指すものの本当の
意味がわかるようになってくる。
自分が何者であるかに気づくことができるから。
多くの人間は、いまだ「なぜ神はこれほど多くの人間の命を奪い去るのか」と問いつづけているが、神はこれまで、一度たりとも命を奪ったことなどない。
奪えるような命など、最初から存在していないし、神は創造していない。
ないものをあると勘違いし、「ある」という前提で疑問をもつから、何千年追い求めてもその答えに出会えないんだ。
『もっとあの世に聞いた、この世の仕組み』 雲 黒斎 著
693
:
閲覧者99
:2014/04/24(木) 15:58:11 ID:f/LCoOCY
もっとあの世に聞いた、この世の仕組み
http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/e5417c4ac80d337663cca044647792c0
694
:
流氷
:2014/04/24(木) 21:53:08 ID:je.XfMpM
日本語字幕 感動的な母と息子
http://www.youtube.com/watch?v=YpHQkRibNj8
699
:
流氷
:2014/04/28(月) 13:12:05 ID:59t/JsO6
< エル・シャッダイ じゅうぶんすぎる神 > ダニエル・カウフマン
スーフィ教には神を呼ぶすばらしい言葉があります。エル・シャッダイ、「じゅうぶんすぎる神」という意味です。
すすんで受けとる意思のある者に授けられる限りない祝福、みずから愛に満ち、愛を受けとる意思があればうず高く与えられる愛、そして
天使の世界のゆたかな美と、体験する意志があれば生まれるわたしたち自身の地上の楽園の妙なる美ーエル・シャッダイはこれらを表現する、
わたしのお気に入りの用語です。
自己憐憫の苦しくて停滞した瞬間を解放する鍵は、感謝だとずっと感じてきました。
そのようなときわたしは、天使たちと感謝の守護者に人生における無数の祝福を思いださせてくれるように頼みます。
自分には見える目があり、物にさわり絵を描き文章を書く手があり、愛する妻と赤ん坊にキスする口も、人生を楽しむ(そして解決すべき問題を生みだす)頭脳も、
何百万回も自動的にポンプ作用で動く心臓も、愛を感じる能力もあることを思いだすと、とても自己憐憫にふけってなどいられません。
これらの祝福はエル・シャッダイの気前のよさを反映しています。このように恵まれたうえ、手伝ってくれる天使がいて、友だちも空気も水もあり、しかも一九四九年五月四日の
ニューヨークにたまたま誕生したおおぜいの人間に混じって、やはり偶然のごとく生まれたというだけの理由で自由と機会の国に暮らし、こんなにも多くの方法で愛と楽しみと充足を見いだすことができるのですから。
まさに「じゅうぶんすぎる」ほどです。自分を知り、外の世界に認識するのとおなじ美を自分のなかにも見いだす能力をもって生まれたことこそ、すなわち創造主、宇宙原理の無限の愛と慈悲です。
ふたつのものがわたしに畏怖の念をいだかせる。頭上の星と、内なる精神の宇宙。
アルバート・アインシュタイン
『天使の贈りもの』 テリー・イン・テイラー 著
717
:
流氷
:2014/05/11(日) 22:48:16 ID:8QtguC/o
子供の病気の治し方
高校時代から付き合っていた彼とは、20歳で結婚をしました。結婚からしばらくして妊娠。
22歳のときに双子の男の子を出産しました。
双子は二人とも未熟児で生まれました。長く保育器のなかにいたので、医師から、「未熟児網膜症で失明する可能性がある」
といわれましたし、血液検査をすると、「食べられるものがないんじゃない」と思うくらいたくさんの食物アレルギーがありました。また、
「これでは無菌室じゃないと生きられないのでは」というくらい触ってはいけないものがあり、過敏性皮膚炎だとも診断されました。
医師の診断を丸ごと受け入れると、なにも食べられませんし、なにも触れられません。
「この子たち、どんな人生になるんだろう」でも、落ち込んでばかりはいられません。私は考えました。
「彼らのアレルギーや皮膚炎は、別に『病気』ではないはず。人より少し弱い部分が多いだけではないのか......」
私は自分が子供のころにやっていた手法を、彼らにも試してみる決心をしました。
私は喘息持ちでした。温度差のある場所、特に暖かい布団に入ると、もうヒーヒーと喘鳴が出て止まらなくなるのですが、これといった治療はせず、
「まあ、そんなときもあるだろう」くらいに捉えていました。自分で発熱をコントロールできたこともあり、「病気」に対する恐怖心が薄かったのかもしれません。
そもそも人の細胞は日々入れ替わり、新陳代謝を繰り返しています。生まれたときの皮膚を持っている人など、一人もいません。古い皮膚は垢にして落としていきます。
「だったら、次に出てくる細胞を鍛えて、元気な皮膚にすればいいのではないだろうか」そう考えたのです。
医師のように頭がよくない私の、シンプルで単純な発想。でも、それは思いつきではなく、確信に満ちていました。なぜなら私自身がいつまで経っても治らない子供時代からの喘息を、
「これは気管支が弱いからに違いない。だったら気管支を鍛えればいいんじゃないか」と考え、ある刺激物を敢えて摂取するといった荒療治を施して、見事に治した経験があったからです。
「子供たちの皮膚を鍛えるために、地球が協力してくれる場所ってどこだろう。自然が癒してくれる場所ってどこだろう」答えはビーチでした。
燦々と降り注ぐ陽の光に、生命の源である海の水、力強い風。大自然の恵みで癒されれば、新たに誕生する皮膚の細胞は、これまで以上に強いに違いない。
夏の2〜3ヵ月のあいだ、休みの日はすべて海で過ごしました。バシャバシャと水遊びをさせて海水を浴び、お日様のエネルギーと心地よい風を全身に受けさせたのです。
子供たちは「治療のため」とは思っていません。単に、太陽の下で、思いっきり海や砂と戯れるだけの楽しい時間。そういう彼らの思いも大事にしました。
温泉もいいのではないかと思って連れて行ったのですが、なにぶん彼らは小さい子供。温泉の熱さに耐えられません。二人がしんどいと思うことは楽しくないこと。楽しくないことは続けられませんし、
効果が現れないかもしれません。
私のビーチ作戦は、双子が2歳くらいから3年以上続きました。結果として、二人ともアトピーも食物アレルギーも、一切なくなりました。好き嫌いもなくなり、なんでもおいしいといって食べるようになったのです。
医師の見立てをすべて聞き流した荒療治。あとになって「危ないことだったかも.....」と反省しましたが、果たして医師のいうとおりに、いろんなものを神経質に避けて育てていたら、アトピーやアレルギーは完治したのかという思いもあります。
アレルギー物質をいかに避けて生きるかではなく、いかに自己治癒力を上げるかを優先させたほうがいいと信じたわけです。
人の身体は本当によくできています。アトピーやアレルギー体質の子供が増加しているようですが、それはアレルギーというものに過剰に反応して、自らが呼び込んでいる結果かもしれません。
『高次の存在と最短距離で繋がる法』 真印 著
737
:
神の子さん
:2014/05/20(火) 20:48:49 ID:/wuDNhkM
バール 隠された神
http://blogs.dion.ne.jp/tanpopo0817/archives/7639704.html
768
:
うのはな
:2014/06/01(日) 22:22:24 ID:vKwGoODk
神様やエンジェルが付いてくれると、自分が行く先々で移動して歩く土地にいる波動の高い氏神様など、
自分に付いている神様と同じような高い波動の神様たちが彼ら同士でお互いに同調して、さらに自分にくっついてきます。
移動するたびに、どんどん守護してくれる神様が増えてくるのです。
ですから私は、呼ばれた場所にはできるだけ移動して、波動の高い神様をくっつけて従えて帰ってくるようにこころがけています。
もちろん、常に自分の思考をいい方向に、神様たちに同調するようにコントロールしているからです。自分の思考は磁石と同じ働きをします。
その反対に、もし一体でも悪霊や自縛霊と同調して、くっつけてきてしまっている人は、同じような悪い波動の自縛霊をくっつけてきて、どんどん山のように
増やしてきてしまいます。これを憑依現象と言います。
顔つき、顔の表情が変わってくるのでまわりの人も気がつくと思います。
憑依している霊を観れば、その憑依を受けている本人のすべてがバレます。波動が合わない霊が憑依するとことはないからです。
嫉妬が強い人には嫉妬の霊が、恨みの強い人には恨みの霊が、他人の不幸を喜ぶ人には不幸を喜ぶ霊が憑依します。
本人が、自分の思考、それにともなう行動と価値観を根本的に変えていい方向の正さない限り、自分にくっついてきてくれる霊や神様の種類を
変えることはできないのです、除霊しても、本人が考えを正さない限り、またすぐに自縛霊をくっつけてきてしまいます。
どうどう巡りですね。それも、常に毎日、1分たりとも油断して悪い方向に考えたら悪霊が寄ってくるので、いつも気をつけておかなくてはならないのです。
『神様に愛されたら、幸せな奇跡が起こりだす』 ブルーシャ西村著
769
:
SAKURA
:2014/06/02(月) 18:13:47 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>> 投稿の続きです
◆ 第 十一 章 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−
――――― 【 直接談話その他の物理的現象 】 ―――――
■本章では、直接談話現象をはじめ、その他の諸物理的現象をまとめて請述し、これでひ
とまず心霊現象の紹介を締めくくろうと思います。今日まで八十年間に蓄積された諸現象
は、種類からいっても、また性質からいっても、なかなか豊富で複雑をきわめ、とてもそ
の全部にわたって詳しい紹介をするわけにはゆきません。ですから私の講述は、わずかに
その大すじを捕えて、心霊現象に対する基礎的概念をつくりあげるだけの仕事にしかなり
ませんでしたが、しかし、これは最初から私の予定の計画でもありました。概念から細論
に、冷やかし半分からまじめな研究へと、進んで行くのが人間のたどるべき、常道です。
私はこの請述が、痛切に何ものかを求めつづけている現代の多くの人々に対して、全く無
意味終わるものではないことを、心から期待します。
さっそく直接談話現象について述べますが、これは日本ではもっとも珍奇に思える現象
で、うっかりそんな話でもすると、頭から相手にされないようです。実際私なども、最初
書物の上でこれを知った時には、何となくしっくりこない感じがしました。ですが、イギ
リスやアメリカの各地で、さんざんこれを実験しまして、なるほどこいつはすばらしいも
のだと痛感するようになったのです。幽明交通の形式もたくさんありますが、公平に考えて、
直接談話が一ばん優れたもののひとつではなかと思います。
つづく
770
:
SAKURA
:2014/06/02(月) 18:16:02 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
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>>769
投稿の続きです
◆ 第 十一 章 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−
――――― 【 直接談話その他の物理的現象 】 ―――――
◄ 直接談話の種々相 ► 【 第一回 】
■直接談話現象は、読んで字のごとく、死者の霊魂が霊媒の体を借りないで、直接空中か
ら発声する現象なのです。この種の霊媒の最も多いのがアメリカで、ほとんど、どの都市
にも、一人、三人位の直接談話霊媒がいないところはありません。ですからアメリカ人の
間では、この現象はほとんど常識化してしまっています。アメリカについで、この現象の
さかんなのはイギリスであり、フランス、イタリア、ドイツ、などにも、近頃は次第に広が
ってきています。日本では亀井霊媒が、現在ただ一人の直接談話の能力者です。
直接談話現象の種々相については、簡潔にするために次にその要点を箇条書きにします。
(一)直接談話の霊媒は、多くの通常意識のままで残り、まれに無意識の入信状態に入る
ものもある。
(ニ)音声は、ふつう霊媒の身辺から一メートルから一・五メートル位離れた空中から聞
こえ、こちらのッ注文によって、簡単に場所を変える。
(三)この現象の背後には、必ず霊媒の支配霊と称するものが一人から数人ひかえていて、
必要に応じて実験者に、空中から話しかける。
(四)この現象は、暗中が最も強力である。赤灯下でも相当音声は聴こえるが、暗やみで
行う時より、ずっと声が低い。赤以外の光線のもとでは、ほとんど聞きとれない。
(五)エネルギー不足のため音声が低い場合には、ラッパ形のメガホンを使う。それはふ
つう、アルミニウムが厚紙で作り、長さは六十センチメートル前後である。
(七) そのメガホンは、単に実験室の床に立てておけばよい。そうすると、それが勝手に
空中にまいあがり、列席者の一人の耳元に近づいて話かける。時にはメガホンの先
が列席者の肩などに触れて、前もって注意をうながす。
(八) 直接談話の最大の強味は、その音声と用語が、本人固有のもであることである。
(たとえば、外国で実験しても、日本人の霊魂ならば、生前そっくりの声で日本語をしゃべる)
(九) 立会いの人数は、それほど関係ないが、ふつう三、四人から十人まで位が適当である。
(十) 空中の声が霊媒と独立していることを証明するためには、霊媒の口をテープでふさ
いだり、水を口に含ませたり、または一種の発声防止器を使用したりする。しかし、
従来の実験によれば、空中の音声はいぜんとして止まらない。
(十一)空中の音声は、すでに各地でレコードに収められているから、幻錯覚説は成立しない。
■大体以上の説明で、直接談話現象の概念だけで得られたことと思います。続いて、この
方面の代表的名霊媒を紹介することにします。
つづく
771
:
愛と追憶の日々
:2014/06/05(木) 10:36:21 ID:YzibsPco
読者の方からのお便りに、すべての人々が見習うことができる大事な教訓が含まれていましたので、
ここで紹介させていただきます。
「バレエを習い始めて、東京バレエ団の公演を観たときは涙が流れて止まりませんでした。動作の一つひとつに
どれくらいの努力があったのか想像できたからです。踊っている本人はなおさら、その方々のご両親の努力、先生方の努力の
賜物ですね」
この方は、とても性格の善い方ですね。バレエの動作一つひとつを観て、それにどれだけの努力があったのかを感じ取ることができたなんて、
そして感動して涙を流せたなんて、とてもすばらしいことです。普通は、誰か人のよい面とか華やかな面を見ると、嫉妬心を持ってしまう人も多いと思います。
でも、みんながこの方のように、そのよい面を見て、蔭での努力の量を想像できるなら、誰もが他人に対して嫉妬心を抱かなくなります。
誰か他人に対して嫉妬心を持ってしまう方は、その人が今の才能や成功を手にするまでどれだけの努力を積み重ねたのかまったく想像することなしに、表面的な部分だけを見て、
自分と比べてうらやましく感じてしまうのが原因でしょう。
でも、よく考えてみてください!「他人の表面的なことだけを見て、うらやましく思って嫉妬すること」は、ものすごく浅はかなことではないですか?
陰の努力や苦労を思い図る想像力と思考力が乏しいということですよね。
もしも、その嫉妬を覚えるような才能や成功を手にしている人が、その陰でこれまでに積んできた努力の量を想像することができたら、感心と喜びと感動しかなくなります。
それプラス、この読者の方のように、その成功して才能があるご本人のことだけではなく、そのご両親や先生のことまで想像して思いをはせてみたなら、誰も嫉妬心なんて抱けなくなるでしょう。
本人だけではなく、そのご両親の教育に対する熱意と努力の賜物でもあるわけです。
もちろん、同じ環境で同じようにチャンスを与えられても、才能が伸びる人と伸びない人がいるので、そのご本人の素質と努力によるものが一番大きいのです。
また一見、その本人が今生でまったく努力も苦労もしていないような表面的には見える状態の成功や才能でも、その方のご先祖の徳が高かったお陰かもしれません。
ですから、そうそう単純には他人に対して嫉妬心は持たないほうがいいのです。
どんな物事でも結果や表面の才能だけを見て、浅はかな判断で他人に嫉妬しないように気をつけて、もし嫉妬しそうになったら、その人がそれに至るまでの間にどれだけ努力を
積み上げ続けたのかということを想像してみてください。みんながそのように、他人のこれまでの努力を想像してみることができたら、人々の間で嫉妬心がなくなり、平和な世の中になっていくはずです。
世の中の諸悪の原因は、元はたどると嫉妬心だからです。嫉妬心が人間からなくなれば、世の中は平和になります。
『神様に愛されたら、幸せな奇跡が起こりだす』 ブルーシャ西村 著
772
:
愛と追憶の日々
:2014/06/06(金) 19:30:13 ID:ANgSnz2g
不徳の人とは、なるべく距離を置く
ポジティブな高い意識の人でも、不徳の人に接して何かいじわるをされたりすると、一瞬腹が立ったり落ち込んだりして、
悪影響を受けてしまいがちです。するとせっかく高く保っていた意識が、シューッと下がってしまうものです。
意識状態が下がっているときは、その人の波動も下がっています。
普通の状態では人間は、そんな悪影響を無力化できるほど強くありません。人間は生身だし、感情や意識はいつも何かあれば外部に反応して
動いているものなので、精神の軸が弱いと、まわりのものの影響を簡単に受けやすいのです。
神道と仏教の共通の教えに「六根清浄」というのがあります。これは、人間の六根(五感と意識の根幹)を清らかに保つことです。
六根は、視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚、意識の六つです。魂を清らかな状態にするには、不浄なものを見ない・聞かない・嗅がない・味わわない・触れない・感じないようにするほうがいいのです。
不浄なものに接触してしまうと、自分も悪影響を受けてしまって、邪気がたまり、意識が下がり、魂の波動も下がってしまうからです。不浄なものには不浄な人も含みます。自分に邪気がたまっていて意識の波動が
下がっているときには、正しい道(八正道)を行けなくなります。
「みんな仲よく」という博愛精神は、みんなの意識が同時に高くなってキープされている世界でしたら可能ですが、実際はこの世にはいろいろな意識状態の方が同時に存在していて不徳(不浄)の人もたくさんいるため、
みんな仲よくするには「人づきあいを腹五分か六分くらいまで」にしておいたほうがいいのです。
不徳の人にあまり近づきすぎると悪影響も受けてしまうからです。不調になりそうな空気、場所があると、そこからサッと立ち去るほうが時間をムダにしなくて済みます。
「みんな仲よくしなければならない」という博愛精神を持とうとしてがんばって、自分が嫌いな人や苦手な人とも仲よくしよう、受け入れようと無理をする人も世の中には多いと思います。
でもそれでは傷だらけになってしまって、精神的にダメージを受けて、しばらくうつ気味になったりしてしまいます。
日本にはこれだけうつ病が多くなってきているので、人づきあいでは距離を保って、気をつけておくほうが、特に若い時期は自分の波動を下げないで済みます。
『神様に愛されたら、幸せな奇跡が起こりだす』 ブルーシャ西村 著
773
:
愛と追憶の日々
:2014/06/07(土) 16:42:53 ID:9m03bobY
私は美容師です。5、6年前、当時勤めていた美容室に、一人のスタッフが遅刻ぎりぎりで、前のめりで頭から
飛びこんできました。そのとき、なぜか彼が長髪をして、耳の後ろに長い茶色の羽根をつけている姿が、二重写しになって
見えたのです。それがきっかけで、次々とイメージが浮かぶようになりました。
同僚だった彼は、過去生でも若い男性で、ある日太陽が昇る方向から、傷だらけの状態で、私たちのコミュニティにやってきました。
彼は集落に着くなり気を失い、私は懸命に看護して命を救いました。
彼が回復してから、私たちはしばらく幸せに暮らしました。けれど、何年か後に軍隊が攻めてきました。「一緒に逃げよう」と懇願したのに、
彼は「どこに逃げても同じだ」と言い、戦いに向かいました。彼が兵隊に囲まれて後ろから刺殺されるシーンを、私は遠方からビジョンで見ました。
私は両親を失った男の子の手を引いて、部族の人たちと山に向かって逃げました。
みんなが藪のようなところで疲れ果てて眠ってしまったとき、私は一人でもっと奥へ逃げて、川の先を行き、平たい石のところで手首を切って死にました。
兵士たちは敵を残忍に殺すので、自殺したほうがましと考えたのでしょう。
手を引いて逃げた男の子を見捨てて先に逝ったことに負い目を感じていましたが、今生では、その子の生まれ変わりの人とも再会しています。
私はその人に会ったとたん、なぜかなつかしく感じましたが、彼もまた同じように感じたそうです。
この時期は、他の人との出会いからも、同じ過去生の記憶がよみがえることがあり、虫食いのような記憶が少しずつつながっていきました。
ふり返ると、私は子供の頃から羽根飾りや革製品を見ると心がざわざわする感覚があり、アメリカ先住民の民芸品に心惹かれていました。
それが過去生の影響だとしたら腑に落ちます。その後、私はアメリカ旅行で先住民のシャーマンに会い、過去生を教えてもらいました。
シャーマンの話によると、1806年頃、私はアリゾナとニューメキシコの中ほどでアパッチ族の娘として生まれ、両親を亡くして部族の人に育てられ、ヒーラー(癒しをおこなう人)
になったそうです。29歳頃に大軍が攻めてきて、部族の戦士はみんな殺され、女子どもと老人は山のほうに逃げましたが助かりませんでした。
部族の名前やルーツがわかって、私はほっとしました。当時の私は、次々に過去生のイメージが浮かび、気が変になったのかもしれないと不安だったのです。
私の気持ちは200年前に飛んでしまい、過去生のイメージのほうがリアルで、現実の暮らしは色を失っていました。今の自分というより、ほぼ半分以上、過去生の女の子として生きていました。
けれど、翌年またアメリカを訪れ、ヒプノセラピー(催眠療法)を受けて、私は変わりました。「過去生の女の子が、私に助けを求めているのではない。私自身が過去生にしがみついているのだ」と、気づいたのです。
その旅行では、その子が自殺した場所を見つけて、別れの挨拶をしました。そして日本に帰った夜、「あの子はもういない。リリースした」ということがわかりました。
記憶にふりまわされていた時期は、本当につらかったです。なぜあんな体験をしたのか、私にはわかりません。
あの子は、自分の苦しみを私に知らせたかったのかもしれません。今はただ、「そういうことがあった」と、心のひきだしに静かにしまっています。
『前世を記憶する日本の子どもたち』 池川 明 著
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